皇国史観について ― 2007/07/22 14:43
歴史とは、「史実を自己の主張に添って編集したもの」というのが無荒老の定義である。
日本では皇国史観を持つ人には特に偏った編集をする人が多い。都合の悪い史実を取り上げようとしない。
皇国史観論者は、その原則に固執するあまりいろいろな史実を無視することが多いのである。無荒老は少年時代に軍部より皇国史観を教育されたものである。今歴史を趣味として古今の本を読んでいるが、中世の歴史書の方が史実をよく見ている。
例えば承久の乱である。皇国史観では、後鳥羽上皇を正義としているが、南朝の忠臣北畠親房の「神皇正統記」でさえも後鳥羽上皇の愚挙として扱っている。そういえば、「神皇正統記」はその存在だけを習ったが、その内容はついぞ触れられなかったことを思い出す。
天皇も125代を数えるが、これだけおられると名君もおられるが、当然暗君といわれる方もおられる。中世の歴史書「神皇正統記」「愚管抄」は暗君を暗君として記述している。皇国史観は天皇は全て神として扱っているので、暗君の記述は無視する他はない。ところが暗君の存在が史実として無視できない事例もかなりあるのである。しかも多くの場合は、臣下が悪役を引き受けさせられているのである。
無荒老の経験から言えば、歴史教育で無視された史実に接する時、過去の歴史教育を大いに疑うようになるものである。
歴史を語る時「皇国史観」に陥ることは避けるべきである。
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