テロとは2007/11/01 17:58

本日を以てテロ特措法が失効した。この機会にテロとは何かを見直してみたい。

孫子にあるがごとく「敵を知り己を知れば百戦危うからず」であるが、これに反することは百戦危ういということでもある。

日本政府はテロとは何かよくわかっているのだろうか?いや、米国政府も解っているのだろうか?解っていれば明確に解説して欲しい。

無荒老の言わんとするところは「テロとの戦い」では敵が解っていないのではないかということである。これでは永遠にテロに勝つことは出来ない。

戦というものはどう終わるかを示しておかないと、厭戦気分が必ず出てくる。無荒老は早くも厭戦気分にとりつかれたらしい。 終わりがわからないものに何時までも税金を使いたくない。

無荒史談5-古代豪族蘇我氏の滅亡2007/11/02 18:58

古代豪族蘇我氏を滅ぼしたのは天智天皇である。天皇は即位前に蘇我入鹿(蘇我氏の嫡子)を殺し次いで軍を率いて蘇我氏を滅ぼした。自ら武器を持って人を殺した天皇は何人かいるが天智天皇はその一人である。古代では雄略天皇が即位前に兄弟や従兄を手を下して殺したことが記紀に示さ示されている。反正天皇は、自ら使った刺客を殺している。

蘇我氏は崇峻天皇や山背大兄皇子など有力皇族の殺害に関与しているが、天智天皇はノーマークであったように日本書紀からは読み取られる。天智天皇が日本書紀に大きく取り上げられるのは入鹿暗殺の直前である。蘇我氏は天智天皇の動きには気付いていなかったとしか思えない。

蘇我氏は天皇を伺ったとされているが、その基盤は貧弱であり、蘇我入鹿の暗殺後は多くの氏族が蘇我氏を離れ皇室側に寝返っている。蘇我入鹿の専横に対して反感を持っていた氏族が多かったと思われる。また、蘇我氏の傍系の氏族も本家に背いている。

皇室は革新的な立場を取っていた。遣唐使で留学した人物が多く大化の改新の主力メンバーになっている。大化の改新が目指した政府組織には、古代豪族の席はない。改新を始める前には古代豪族は全ていなくなる必要があったと思われる。

古代豪族の立場を放棄した氏族-大伴氏、紀氏、巨勢氏など-はこの事件の後も生き残った。

少子化対策について2007/11/03 18:09

少子化対策では子育て支援だけを見ていたようだが、それ以外に産婦人科医、小児科医の不足が浮上してきた。「産みたくても産めない。」「産んだ後のケアが大変。」

これは厚生労働省官僚の見通しの悪さに起因するものと言える。

厚生労働官僚の見通しの悪さはこれだけではないが、とにかく脳天気である。いろいろな予想に関して必ずといってよいほどもっとも観的な数字で計画を立てている。典型的なお役所仕事である。堅実経営の民間企業は、悲観的予想で計画を立てていることが多い。厚生労働官僚の見通しの悪さは現実のデータが証明している。

今からでも遅くない。少子化担当大臣もいることだし、現在の各種の少子化関連の予想値からもっとも悲観的な数値を選び、それを根拠に対策を立てることである。恐ろしくなるようなものになるだろうが、それだけ現実は厳しいものと考えるべきである。

無荒史談6-百人一首の帝達2007/11/05 17:42

小倉百人一首の「天皇札」は10枚であるが、そのうち元良親王と式子内親王は帝位に就かれてない。残る8名の方が天皇になっている。「院」と名乗られているのはいずれも譲位された方である。ただ、持統天皇だけは譲位されているが「天皇」である。

8名の方で最後まで権力を維持されていたのは最初の天智天皇と次の持統天皇だけである。

平安時代で名目だけの統治者であられた方が5方である。

なんと流罪になった方も3名おられる。(上と重複された方が2名)

この外にも和歌に優れた帝は多いが代表格としてこの8方について史談を進めたい。

無荒史談7-百人一首の帝-天智天皇2007/11/06 18:48

百人一首の御製は次のものである。

秋の田の仮穂の庵の苫をあらみ我が衣では露に濡れつつ

ところが歌人として名高い天皇の御製として万葉集にはこの歌はない。

これに一番近い歌は巻10の2174番

秋田刈る仮庵を作り我がおれば衣手寒くつゆぞ置きにける

である。しかし、この歌の前後を調べても天智天皇の御製であるとの記事はない。

天皇は、皇太子として実権を握っていたが、その27年に及ぶ治世期間の中で現実に天皇として在位したのは僅かに4年である。皇太子として実権を発揮したのはその前の聖徳太子があるくらいである。天皇としての儀式などに囚われたかくなかったのか。後の世に出現した院政の逆のような気もする。

天皇が蘇我入鹿を暗殺した時は19才である。それまでは政治面では無名の存在であったように思える。当の暗殺場面で皇極天皇の側にいたのは古人大兄皇子であり、天智天皇は儀式の当事者とはなっていない。はたして皇太子であったかも疑問である。

天皇は蘇我氏を滅ぼしたことで、天皇家の中興の聖主と言われている。