無荒史談7-百人一首の帝-天智天皇 ― 2007/11/06 18:48
百人一首の御製は次のものである。
秋の田の仮穂の庵の苫をあらみ我が衣では露に濡れつつ
ところが歌人として名高い天皇の御製として万葉集にはこの歌はない。
これに一番近い歌は巻10の2174番
秋田刈る仮庵を作り我がおれば衣手寒くつゆぞ置きにける
である。しかし、この歌の前後を調べても天智天皇の御製であるとの記事はない。
天皇は、皇太子として実権を握っていたが、その27年に及ぶ治世期間の中で現実に天皇として在位したのは僅かに4年である。皇太子として実権を発揮したのはその前の聖徳太子があるくらいである。天皇としての儀式などに囚われたかくなかったのか。後の世に出現した院政の逆のような気もする。
天皇が蘇我入鹿を暗殺した時は19才である。それまでは政治面では無名の存在であったように思える。当の暗殺場面で皇極天皇の側にいたのは古人大兄皇子であり、天智天皇は儀式の当事者とはなっていない。はたして皇太子であったかも疑問である。
天皇は蘇我氏を滅ぼしたことで、天皇家の中興の聖主と言われている。
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