無荒史談10-百人一首の帝-光孝天皇2007/11/12 19:08

君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ

天皇がまだ一皇族であった時のお歌である。

光孝天皇は青壮年期には天皇家の傍系におられ、自分が天皇になるとは全く思われていなかった。そのため皇族は自分一代で終わるようにし、所生の皇子、皇女は全て臣籍に降下してしまっていた。

前回に述べた陽成天皇の突然の退位で、突如として天皇になることとなった。時に55才。政務は擁立した藤原基経にゆだねることとなった。

天皇は崩御直前まで皇太子を立てなかった。死の床で基経に促されて、臣籍にあった宇多天皇を皇族に復帰させて皇太子とした。

在位中の歌で古今集に次の御製がある。場所は巻7で347番、君が代の本歌とされる歌は343番である。

かくしつつとにもかくにも長らえて君が八千代にあうぞ嬉しき

この歌は僧正遍照に長寿を祝って賜ったものである。僧正遍照は天皇の父仁明天皇の近臣であった。

この歌の解釈は「君が代」が作られた時代の解釈のあり方に通ずる。現在の文部科学省の見解は古今集時代の「君が代」の意味と異なることを示している。