無荒史談31-「読み人知らず」考2008/01/02 19:43

読み人知らずとして和歌集に記してあるのはいくつかの条件がある。

1. 本当にわからないもの

これは万葉集時代の時から歌の前後に書いてある例がある。この中には「ある人の言うには」として作者が推定されているのもある。なお、万葉集の作者名の付け方は、整理されておらず、百人一首の作者のものでも少しあやしいのもある。

2. 位が卑しい人

これも万葉集時代からその例がある。万葉集ではその旨断ってあるが、その後の勅撰集では特に断ってはない。

3. 名前を出すのがはばかれる人

これは平家物語の平忠度に物語があるが、以前から行われていたとも考えられる。

読み人知らずの歌から次の3首を取って考察する。

君が代、百人一首の猿丸大夫、平家物語の平忠度

なお、別の機会に他の歌について考えを述べるかも知れない。

100ドル原油2008/01/03 19:00

ついに100ドル原油の時代となった。

巷説に依れば投機資金の投入が一因という。

原油に投機しても儲からない様になれば当然投機資金は逃げていく。原油価格は経済原則に従って決められる様になる。

ここは省エネが大事であろう。

とりあえず日常の行動でより省エネになるものを選択する様に心がけることであろう。

いろいろなエネルギー多消費型のサービスや商品は魅力があるのは事実であるが、一度冷静に判断することが必要ではないか。

世界中で省エネが進行すると原油に対する投機は成立しなくなるであろう。そこで投機に左右されず純粋な経済条件に基づく原油価格になるであろう。

単なる利便性で高エネルギー消費をすることはよくないと思う。利便性が省エネにつながらない場合、その利便性を拒否する勇気が必要となる。

原油高を省エネ以外の方法で解決しようとするのは邪道であり、かつ失敗する危険性も大きいのではないか。

原油高は、地球温暖化を防ぐ一つの手段を推進する為の人類に示された厳しい警告の一つと見たい。

無荒史談32-「読み人知らず」-君が代2008/01/04 19:11

わが君は千世にやちよにさざれ石の巌となりて苔のむすまで

古今集の第7巻賀の歌のはじめにある歌である。(番号343)

題しらず、読み人しらずとある。

この歌は現行の君が代とは第1句が異なっている。しかし、和歌がその文が変化することは良くあることである。この歌に相当するものが和漢朗詠集では君が代になっている。

百人一首の中にも数件ある。古今集では河原左大臣の歌が第4句が異なる次のものになっている。

陸奥のしのぶもじずりたれゆえに乱れんと思う我ならなくに

従って古今集のこの歌が君が代の本歌として-あるいは本歌が「君が代」で古今集の方が変化したかも知れぬ-考えてよいであろう。

ところで古今集の時代、「君が代」と言ってもこれを天皇制に結びつける解釈は存在しないのである。「君」はあくまでも第2人称の敬称に過ぎない。歌を捧げた天皇個人の場合は考えられるが、断じて天皇制ではない。

古今集の賀の歌の中で、次の歌がある。

仁和の御時僧正遍照に七十の賀たまひける時の御歌(番号347)

かくしつつとにもかくにもながらへて君がやちよにあふよしもがな

光孝天皇の御製であり、臣下である僧正遍照を「君」と呼んでいる。

この外にも古今集の中に「君」という表現がいくつかあるが、天皇と結びつけられるものはない様だ。

結論を言えば、文部科学省では、「君が代」の解釈として原作が作られた古今集の時代と異なった解釈を国民に押しつけていることになる。子供か成長して古今集を読む時、混乱しかねないのである。

ただ、国歌としての「君が代」の場合、今上陛下のご長寿を祝ったり祈ったりする意味をこめて君を今上陛下とする解釈は成り立つと思われる。あたかも大英帝国国歌が“King”と“Queen”を使い分けている様に。-現在は女王陛下の治世であるので“Good save the Queen”-

君が代の作者は誰か手懸かりもない。何故「読み人しらず」になったのかその理由もはっきりしない。

北朝鮮の核開発申告2008/01/05 18:52

北朝鮮は11月に米国に核計画を通告したとしている。これは明らかに筋違いである。もっとも米国はこれを核計画の申告とは認めていない。また、申告の相手は米国ではない。6カ国協議の場であり、日中韓露を含む多の5カ国である。

この4カ国に知らせないで、米国に通知したとして済ませるのは明らかに6カ国協議の決定に違反する。6カ国協議の場で堂々と説明すべきである。多分米国に通知した内容は他の諸国の理解を得られないレベルのものであろう。

ちなみに、北朝鮮とすれば、核の放棄は唯一の切り札である。これを小出しに使い、各種の譲歩や援助を引き出すのに使うことが必要なのである。いろいろな理由を付けて引き延ばしをすることは国策でもある。特に米国の譲歩を要求しているのである。

日中韓露の諸国はもっと怒れ!面子丸つぶれではないか!

無荒史談33-「読み人知らず」-猿丸大夫2008/01/07 18:43

奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿のこえきくときぞ秋は悲しき

古今集に読み人しらずとして採録されている。この歌の題はその前の壬生忠岑(古今集の選者の一人)の歌の題が「これさだのみこの家の歌合のうた」とあり、この歌の前に題を改めて記してないので、同じ題である。この歌が百人一首には猿丸大夫の作となっている。

これさだのみこは光孝天皇の皇子であり、宇多天皇と同母の兄弟である。また、壬生忠岑は古今集の編者でもある。これから見るとこの歌の作者に関する情報を忠岑は持っていたと考えられる。何か理由があって作者が書かれなかったと見るべきであろう。

一方で猿丸大夫は百人一首の作者順では5番目でその次が大伴家持である。この位置では奈良時代の人物と言うことになる。しかし、万葉集にも作品は出ていない。奈良時代とすれば題に示された歌合の会に出席したとは考え難い。また、古今集の真名序(漢文)には大伴黒主が猿丸大夫の和歌の系統であるとされているが、これからも奈良時代の人物として扱われるのがよい。大伴黒主は平安初期の人物と言われている。

猿丸大夫自体その存在が疑問視されている人物でもある。文献に残っているのは、古今集の真名序くらいである。