無荒史談67-院政の上皇-持統上皇 ― 2008/04/07 19:03
持統上皇は、無荒史談で百人一首に関して取り上げた方である。
上皇は天武天皇の皇后として、天武天皇崩御後はその分身として機敏な行動を取られている。特に大津の皇子を粛清して、自分の子供の草壁の皇子を帝位につけようとしたのはその現れであろう。
ところが以前より病弱であった草壁の皇子は即位を目前にして病死してしまう。この為持統天皇が急遽即位したのである。
持統天皇は草壁の皇子の子供の文武天皇の成長を待って譲位している。初めは未成年の文武天皇を助けていたと思われる。これはある種の院政でもあった。
持統上皇は文武天皇の治世が軌道に乗ったと思われる4年後に崩御し、文武天皇の治世となったが、父と同じく病弱であった天皇はまもなく病死し。上皇の願いは次の世代へと受け継がれることとなった。
政治的にも文学的にも優れた方の思いもうまく行かなかったのである。
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