無荒史談74-院政の上皇-後白河法皇2008/04/24 19:57

後白河天皇は立太子直後即位である。すなわち皇太子時代がないと言うことである。即以前はとかく素行不良で天皇の地位にふさわしくないと見られていたし、そもそも賢明でないとの評判があった方である。

皇位は全くの幸運から転がり込んできた。鳥羽法皇が将来を託した近衛天皇は、子供を作ることなく夭折した。次の天皇を誰にするかを鳥羽法皇は迷った。その時に候補に挙がった内の一人は後白河天皇の皇子後の二条天皇であった。この時藤原忠通のみが諮問に預かったのであるが、後白河天皇を差し置いて二条天皇を即位されられないとして後白河天皇をまず即位させよと言うこととなった。

後白河天皇が即位されると、政治的な混乱が起きて保元の乱が起こり、その3年後二条天皇に譲位されて上皇となられたが、今度は平治の乱が起きた。これで武家の時代の到来が確実となったのである。

後白河上皇は権力志向が強い方であり、平治の乱後も院政を強化されようとした。ところが故鳥羽法皇が二条天皇の親政を実現する為に腹心を朝廷の要職に付けておいた。この二人を排除しようと後白河法皇は平清盛を使って実力行使をした。これが平家の権力をますます増大させる結果となった。今度は法皇は平氏の権力を削ぐ為に苦労する羽目となった。

後白河法皇は男性・女性共に愛されている。特に男性について地位を与えるなど厚遇されている。そのため彼らは後白河法皇の不満を代弁して事件を起こしている。平治の乱も平氏打倒の密議も彼らの仕業であった。更に平家の公達の中に法皇の寵愛に頼って命を助かろうとした人もでる始末である。

後白河法皇は、従来の貴族の文化はあまりお得意ではなかったが、「梁塵秘抄」という当時の市井の流行歌の集約などの文化的実績がある。

行動を見てみると「行き当たりバッタリ」という感じがする方である。当面のことだけを考えて動かれた様に思える。

歴代の帝の中でも変わり種に属するのではないか。