無荒史談75-院政の上皇-後鳥羽上皇2008/04/27 19:24

後鳥羽上皇は「百人一首の帝」として取り上げたがもう一度見地を変えて述べる。

後鳥羽天皇の即位は異例ずくめである。まず立太子と同日の即位で皇太子時代がない。即位に必要な三種の神器がない。先帝である安徳天皇はまだご存命である。勿論譲位の取り沙汰もない。即位を指示したのは祖父の後白河法皇である。ところがこれが後の南北朝時代で北朝方の帝の即位の際の前例となったのである。

後鳥羽天皇は後白河上皇の崩御により14才の若さで最高権力者となられた。これが後々までマイナスに作用する。つまり天皇としての教育が不完全なままでて親政されることとなってしまった。

後鳥羽上皇は長男の土御門天皇が4才になったらすぐに譲位して上皇となった。これは当時の風習として普通であろう。しかし、次男の順徳天皇を愛し、土御門天皇に迫って譲位させている。この時の口実は、彗星の出現である。彗星の出現は不吉な証拠であり、時の帝の責任だというのである。勿論当時の迷信ではあるが、これがこの頃は大まじめに受け取られたのである。公平に考えると実権を握っていた上皇が政権を天皇に返して親政とするのが道ではないかと無荒老は思う。仮にこうしていたら承久の乱は起きなかったかも知れない。

後鳥羽上皇は文武にすぐれた才能がおありであったが、政治家として肝心の政治・経済面の能力は欠けておられた様だ。また、女性関係も高貴な女性でなく芸能関係者に興味を抱かれていたことが記録に残っている。

後鳥羽上皇は幕府に不満を持ち、倒幕を志したが失敗した。この行動には当時から批判的なことを言う人が多い。結局配所の隠岐で崩御された。