無荒史談78-院政の上皇-後桜町上皇2008/05/05 19:25

最後の女帝として知られる方である。初めから中継ぎの女帝として即位された。ところが、中継ぎの役目が済んだとして譲位された後桃園天皇が皇子のないまま夭折された。そのために急遽光格天皇を後桃園天皇の養子として即位させることとなった。光格天皇は当時9才である。院政の形は取られなかったが、上皇としていろいろな仕事をされた様だ。むしろ上皇時代の方が実績を残されたのではないか。

皇位を離れて3代目である光格天皇に皇室のしきたりなどを伝える人は後桜町上皇をおいて他にない。後桜町上皇は光格天皇に天子としての教育をした方として考えられている。光格天皇は後桜町上皇の期待通り名君となられたといえる。後桜町上皇の言いつけどおり勉学に励まれ、時々は上皇に施政の結果を手紙で報告されている。後桜町上皇は上級貴族に光格天皇を見習って勉強しろとまで言っている。天明の飢饉の折は、上皇と天皇は共に幕府に対策を掛け合っておられる。また、時に触れ光格天皇から後桜町上皇への報告と言うべき書簡が残されている

現在は下火になったが、女性天皇論者は後桜町上皇の事績を参考にする点が多いと思う。

幕末の皇室の姿勢に影響を与えた方と見るべきであろう。

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