無荒史談82-清和源氏物語2-源義朝12008/05/20 19:39

義家の子義親は、どうゆう訳か西国で乱暴狼藉を働いた。源氏の御曹司のことであるから何か深いわけがあるのかも知れないが、その原因は伝わっていない。結局反逆者として討伐されてしまった?ところがその後も生存の噂が絶えなかった男である。一族の領地に現れたとの噂がある。

義親が討伐されたので、家督は弟の義忠が継いだが、暗殺された為義親の子為義が家督を継いだ。これらのごたごたの中で義家が築いた地盤は衰えたと考えられる。

為義の子が義朝である。彼は少年時代から親と離れて関東で過ごしている。いろいろな事件を引き起こしながら義家以来の所領の回復に努めている。そのころまでには源氏の一族である新田氏、足利氏、佐竹氏、武田氏が着々と地盤を固めていたと考えられる。それでも南関東から東海にかけての地域は義朝の地盤となっていった。

義朝はこの地域に政略結婚をしている。長男の義平と次男の朝長は関東の豪族の娘の子、三男の頼朝は熱田大神宮司の娘の子である。頼朝の母が一番の名門であり、彼が嫡子と見られていた。

義朝は下野守になっている。あるいは北関東に進出する足がかりとしたかったのか。