無荒史談86-清和源氏物語6-源頼朝1 ― 2008/06/01 19:43
頼朝が3度も朝敵になりながら全て名誉回復し活躍したことは前に述べた。
頼朝が始めて出てくるのは平治の乱である。この時兄の義平をさしおいて軍議に参加しているのである。義平の陰に隠れているが、後世の「愚管抄」の記事に片鱗がある様に武術も可成りのものであったらしい。また、敗戦後1月あまり潜伏していたことからも知力も13才の少年にしては優れていたのである。なお、母親の地位からも源氏の嫡子であり、清盛が助命したのは迂闊であったともいえる。更に、流刑先が伊豆であったので、一部の東国武士との交流があったのである。
頼朝が決起したのは以仁王の挙兵に伴う綸旨によるものであるが、これは東国の多くの源氏が宛先である。そのころ綸旨を受けそうな有力な源氏の武士としては、足利氏、新田氏、佐竹氏、武田氏がある。この中で佐竹氏以外は全て配下としている。この辺は彼の実力のしからしめるところであろう。同調しなかった佐竹氏は滅ぼしている。
頼朝と前後して挙兵した木曾義仲に対しては、臣従することを要求している。そのために嫡子を人質に取っている。しかし、義仲はこれに肯んじなかった。独立行動を取った為同族の源頼朝に滅ぼされたのである。
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