無荒史談92-天皇機関説考-太古2008/06/19 19:04

古事記、日本書紀に共通するものであるが、天皇の位を巡り群臣心が一致して行動した事例が2つある。

一つは允恭天皇崩御後のことである。群臣は長子の軽皇子を嫌い、穴穂王(安康天皇)に付いたとある。これは内戦となったが、あまり戦闘はなく簡単に安康天皇方の勝利となった。

二度目は武烈天皇崩御後のことである。群臣は協議して継体天皇を招いて即位させている。

この二つの事例は古代でも群臣に天皇を選ぶことを可能としていたことを伺わせる。ただし、選ばれるのは皇室の血を引く一員であることが条件であった。

この時に行動した群臣が天皇即位後の政治にどうか拘わっていたかよくわからない。群臣が天皇に何らかの制約を加えていれば「天皇機関」といえるのである。

この時代のことはあまり囚われるべきではないだろう。そもそも大臣や大連が登場するのも12代の景行天皇の時からである。日本はそれまで補佐役を必要としない程度の小さなグループであったのかも知れない。