無荒史談98-天皇機関説考-明治維新 ― 2008/07/07 19:12
外国船が頻繁に日本近海に出没するようになった徳川時代末期は、徳川幕府の威光が衰えてきた時期と一致する。外国船の出没に伴い日本には危機感がみなぎってきた。その中で徳川幕府に代わる形態を模索する動きが出てきた。
折しも幕末の名君である光格天皇が即位されたこともあり、反徳川勢力は天皇を担ぎ出して「錦の御旗」とする動きが出てきた。「尊皇」思想の出現である。
明治維新は「尊皇」と「佐幕」、「攘夷」と「開国」の間を揺れ動いた。それぞれの陣営が主張を一貫していなかったのが現実である。最終的に「尊皇」、「開国」で纏まり、徳川幕府は賊軍として処分された。
新政府は天皇制についても試行錯誤している。初期の明治天皇像は、衣冠束帯を付けられているが、まもなく軍人としての正装をされ、勲章を着けた今伝えられている姿に変わられている。
明治天皇は憲法発布の頃に青年となられている。それまでは新政府の望むままではなかったのではないか。天皇が力を発揮するのはこの後である。と言っても多く伝えられているのは、対立する政府・議会などの諸勢力に「妥協せよ」という言葉を発せられる事であった。各派は天皇の命令を盾に自派勢力内の強硬路線を封じるのに使ったようだ。
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