サミットがWTOに似てきた2008/07/06 19:55

サミットも昔はそれなりの危機感があり、各首脳が可能な限りの譲歩をして世界を建て直そうとする意識が見られたのである。

ところが現在のサミットは既に譲歩可能な切り札がなくなってしまったようだ。各国がこれ以上譲歩できないものだけが残ったのではないか。

これはWTOと同じである。残った問題は各国政府か譲歩すれば政権の維持に影響が出かねないものばかりと言える。

今回のサミットで、原油や穀物価格に対する各国の統一した対応が出来なければ、サミットは単なる儀式になるだけである。

現在WTOがデッドロック現象を来しているが、サミットもその後を追いかねない。

無荒史談98-天皇機関説考-明治維新2008/07/07 19:12

外国船が頻繁に日本近海に出没するようになった徳川時代末期は、徳川幕府の威光が衰えてきた時期と一致する。外国船の出没に伴い日本には危機感がみなぎってきた。その中で徳川幕府に代わる形態を模索する動きが出てきた。

折しも幕末の名君である光格天皇が即位されたこともあり、反徳川勢力は天皇を担ぎ出して「錦の御旗」とする動きが出てきた。「尊皇」思想の出現である。

明治維新は「尊皇」と「佐幕」、「攘夷」と「開国」の間を揺れ動いた。それぞれの陣営が主張を一貫していなかったのが現実である。最終的に「尊皇」、「開国」で纏まり、徳川幕府は賊軍として処分された。

新政府は天皇制についても試行錯誤している。初期の明治天皇像は、衣冠束帯を付けられているが、まもなく軍人としての正装をされ、勲章を着けた今伝えられている姿に変わられている。

明治天皇は憲法発布の頃に青年となられている。それまでは新政府の望むままではなかったのではないか。天皇が力を発揮するのはこの後である。と言っても多く伝えられているのは、対立する政府・議会などの諸勢力に「妥協せよ」という言葉を発せられる事であった。各派は天皇の命令を盾に自派勢力内の強硬路線を封じるのに使ったようだ。

平泉遺跡の世界遺産登録2008/07/08 19:17

平泉遺跡が世界遺産登録に待ったが掛かったという。

実は無荒老は平泉遺産が浄土思想に基づくとは知らなかった。

兎に角浄土諸宗派の祖である法然上人よりも平泉を創設した藤原清衡の方が時代的に可成り昔になるのである。浄土宗系統が世に認められてくるのは平泉政権が滅びる前後からなのである。

これからも伺われるように説明に何か不自然な物があったのではないか。

世界遺産として訴える手法に根本的な誤りがあったような気がする。そうであれば世界遺産を諦めるほかないのである。

無荒老は担当者が歴史の勉強を十分にしておかなかった為の失敗と思っている。

無荒式温暖化対策2008/07/09 19:10

洞爺湖サミットでの温暖化議論が一応の結論づけられた。但しこれは各国の妥協の産物であり、有効性は疑われるものである。

無荒老は、「温暖化」が更に進行するものとしてその対策を立てることにしよう。

今までの感覚から、日本では夏が長くなり、その分冬が短くなると考えている。従って長くなる夏対策が中心となる。

対策の最たるものは冷房を使わないことである。これは体を慣らすことに心がけると意外に簡単と思う。今熱戦を続けている高校野球では選手も応援団も炎天下で行動している。人間上手にやれば高温にもある程度は対応できるのである。

無荒老は写経をしている。その場所はエアコンもないし、扇風機も使っていない。今日も室温は30度を超えていた。それでも平常心で写経しているのである。

無荒老の書斎のエアコンの使用時間は、年々短くなっている。体を上手に慣らせば、使用しなくても大丈夫なのだ。

長くなるであろう夏に対応できる体作りが温暖化の無荒老の対策の第一である。

無荒史談99-天皇機関説考-大日本帝国憲法2008/07/10 19:48

大日本国憲法-明治憲法-が発布され、天皇について基本的な考えが纏められた。この為に憲法についての論議が漸く可能となってきた。「天皇機関説」はこの中から生まれてきたものである。

「天皇機関説」は多くの学者や実務家に受け入れられ、明治時代には主流の学説として考えられていた。

明治憲法の特徴として4権分立がある。3権分立は、立法、司法、行政であるが、明治憲法ではこれに統帥(軍事)が同格に入っていた。シビリアンコントロールでは、統帥は行政の下部組織であり、軍事政権下では統帥が他の3権の上位に来るのである。

4権分立の他国の例はあまり無い。プロイセンくらいであろう。日本もそうであったが、このシステムは軍事が優先しやすいのである。

明治憲法で曖昧にされていたのが、暗君の出現時の取り扱いである。身心的にひ弱であった大正天皇の時代が、この問題に取り組む好機ではあったが、現実には進展は見られなかった。