無荒史談129-日本仏教物語-崇仏・排仏2008/10/09 19:24

無荒老説のように仏教伝来が政争の落とし子とすれば、混乱が収まった後に仏教に対する議論が改めて起こっても不思議ではない。

議論は仏教を信ずる帰化人を地盤とする蘇我氏と、従来の保守層を地盤とする物部氏との間で起こった。仏教はこの時代に起きた天変地異の度に相手を非難する道具として利用されてキライがある。用明天皇は両豪族の争いが暴発しないように苦労されたのではないかと思う。兵乱は天皇の崩御を期に勃発しているのである。

崇仏・排仏に決着を付けたのは、用明天皇の皇子の聖徳太子である。聖徳太子が熱心な仏教信者となったのは勢力のバランスに影響したと思う。後世の書である「愚管抄」ではこの時の戦を蘇我馬子と物部守屋との戦いでなく、聖徳太子と物部守屋の戦いとしている。若年とはいえ聖徳太子がこの戦で重要な役割を担ったと見るべきであろう。

物部氏の滅亡で主要な排仏勢力はなくなり、仏教の隆盛につながっていく。