無荒史談133-日本仏教物語-平安新仏教2008/10/21 19:00

狂信の時代は、称徳天皇に子がなく、光仁天皇の即位となったがこれから狂信時代への反省が始まっている。皇室は仏教に異常にのめり込むことなく、 政治は正常に帰った。桓武天皇とその子嵯峨天皇の時代に空海、最澄の二人で平安新仏教の時代にはいる。桓武天皇の支援を受けたのは最澄である。嵯峨天皇と親交が深かったのは空海である。二人は唐へ渡りそれぞれ天台宗、真言宗の日本での開祖となった。その中でも密教がもてはやされたのである。

最澄は、桓武天皇の庇護をうけて活動しているが、当時の仏教界の中では孤立していた。戒壇の勅許に関しては、奈良の各宗派と対立し、密教の文献については空海に貸与を拒否され、法華経の教義については徳一と長期の論争を続けるなど苦労している。なお、最澄は中国語会話が苦手だったようで、通訳同伴で入唐している。会話が苦手であったことはハンデになったのではないか。

一方空海は、周囲とあまりトラブルを起こしていない。最澄と異なり中国語会話も文章力も備えており、実務や交際術も巧みで真言の法灯を受け継ぐほどになっている。また、若い時代、修行中に行動がはっきりしていない時期がある。更に各地に奇蹟を起こしたという言い伝えが残っている。密教中心の教義を伝えて朝廷に重んじられた。また、空海は書の名人として嵯峨天皇、橘逸勢と三筆として讃えられている。

この二人が導入した密教がその後の仏教界で重要視されてくる。