無荒史談135-日本仏教物語-末法思想 ― 2008/10/27 19:30
末法とは釈迦没後はじめの期間を正法と言い、仏法を極めて悟りを得る人が存在する(証)が、次の像法の時は修行できる人が出る(行)にとどまり、更に末法の時代には教のみが残り(教)だけとなり、その後は全てがなくなるというものである。正法像法の期間は500年とも1000年ともいわれてきたが、日本では1000年説が採られた。これは500年説を採ると日本では仏教伝来時に既に末法となってしまうからで、1000年説で兎に角仏教伝来時は像法の時代としたのである。
もっとも末法の世になってからの天台宗の名僧慈円はこのような機械的な区分を取っていない。次第に仏法が衰える過程である程度衰えた時期を正法、更に衰えた時期を末法としており、彼の著書「愚管抄」では更にこの期間を細分しているのである。またね華厳宗の高僧明恵は末法説そのものを否定した著書を残している。
当時流布されていた仏滅の時期から計算すると末法は1052年から始まるとなっている。末法思想による行動はその少し前から始まり、空也の念仏、源信の往生要集などから末法思想が普及し始めている。藤原道長などは臨終に当たり西方浄土に生まれ変わる為の儀式を行っているほどである。
ただ、如何に僧侶が「末法」といって騒いでも世間が好景気ならばそれを信ずる人はいないと思うが、12世紀に入る頃から世間は物騒になってきて、末法という実感が身近なものになってくる。僧侶は堕落し、武力が横行し、権力は腐敗するのである。
これらの結果鎌倉新仏教が誕生するのである。
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