無荒史談128-日本仏教物語-仏教伝来2008/10/06 19:06

日本に仏教が伝来した年について2つの異なった説がある。538年と552年である。538年説の方が主流である。

日本にはそれ以前より帰化人の間で仏教が信仰されていたといわれている。しかし、仏寺などはなかったし、公認の僧侶もいなかった。仏教伝来というのは、信仰が公認された時と考えたらよい。仏寺や僧侶はそれから出来ていくのである。

問題となるのは538年の意味である。この年の干支は戊午である。上宮聖徳法王帝紀には欽明天皇7年戊午とある。ところが日本書紀では欽明天皇の治世は539年から始まるので計算が合わない。逆算すると欽明天皇は継体天皇の崩御御すぐに帝位を継いだことにしないと辻褄が合わないのである。

これから安閑天皇と宣化天皇は欽明天皇と並立して皇位を争っていたと見られている。それが539年に統一されたと思われる。仏教伝来の記事はその前年のことである。

無荒老の推測では、欽明天皇側は帰化人の協力を得る為に仏教の公認に踏み切ったとする。これが決め手となって欽明天皇が正当の天子として認められたと思う。日本書紀にある天皇が仏教の教えを聞いて発した言葉は、戦乱が収まった後での話と考えている。

つまり仏教の公認は両統並立の中での話として考えるべしというのが無荒老の結論である。

アフガン支援に関して2008/10/07 19:03

アメリカがアフガン政府軍の強化費用を各国に分担するように要請したというニュースがあった。

これは他の状況と関連してみるとき極めてアメリカ自己中心な話である。

アメリカは金融不安の発信元であり、その対策のため多大の資金を必要としている。また、中東政策の失敗のために多額の資金を必要としている。これを友好各国に分担してもらおうという虫のよい考えを出したのである。

他の諸国と比較してまだ影響は警備であるとはいえ、今回の金融危機に対処するのに日本にそんなに余裕はないのである。資金提供するようなゆとりはないと言える。

資金不足の理由としてアフガンでの治安悪化が挙げられている。資金を供給する側としては、今までの作戦が誤りであったと認め、これを改善するための努力がなされているとの説明があってしかるべきである。軍機の面で詳細は示されなくても、そのような手段を取っているくらいは日本の納税者に解るようにして欲しいのである。

日本にとり国際貢献は必要であろう。しかし、それが如何に有効に使われているかは納税者の前に明らかにする手段が必要である。

株安+円高2008/10/08 18:44

世界的株安に日本は同調せざるを得ないようだが、それに円高が付随しているのである。

円高は欧米に比べて日本がサブプライムローンに端を発する金融業界危機に被害が少ないためのようである。

投資家は狼狽するのではなく嵐が去るのを待つのが賢明と思う。一度行き過ぎるまで異変は続き、その後落ち着くと思われるからである。

落ちるまで落ちたら今度は徐々にでも回復するだろう。日本の産業自体は打撃をそんなに受けていないのだから。

「人間万事塞翁が馬」とか「果報は寝て待て」とか言う格言に頼るのが正解かも。

無荒史談129-日本仏教物語-崇仏・排仏2008/10/09 19:24

無荒老説のように仏教伝来が政争の落とし子とすれば、混乱が収まった後に仏教に対する議論が改めて起こっても不思議ではない。

議論は仏教を信ずる帰化人を地盤とする蘇我氏と、従来の保守層を地盤とする物部氏との間で起こった。仏教はこの時代に起きた天変地異の度に相手を非難する道具として利用されてキライがある。用明天皇は両豪族の争いが暴発しないように苦労されたのではないかと思う。兵乱は天皇の崩御を期に勃発しているのである。

崇仏・排仏に決着を付けたのは、用明天皇の皇子の聖徳太子である。聖徳太子が熱心な仏教信者となったのは勢力のバランスに影響したと思う。後世の書である「愚管抄」ではこの時の戦を蘇我馬子と物部守屋との戦いでなく、聖徳太子と物部守屋の戦いとしている。若年とはいえ聖徳太子がこの戦で重要な役割を担ったと見るべきであろう。

物部氏の滅亡で主要な排仏勢力はなくなり、仏教の隆盛につながっていく。

一犬実に吼え、万犬虚に吼ゆ2008/10/10 19:06

今の相場の状態を見るとき、この格言が思い浮かぶ。

本当に状態が悪化していて、困っているのは一部であると思う。

大部分の相場は単なる思惑や憶測で動いていると思う。

現在のような相場は落ちる所より若干行き過ぎてからリバウンドするのが普通である。

慌てる乞食は貰いが少ない。リバウンドが来るまで気長に待とう。