無荒史談139-日本仏教物語-徳川体制への編入 ― 2008/11/05 19:06
仏教の体制への編入はキリスト教禁止と不可分のものである。無荒老はキリスト教が禁止されたのは何もカトリックの責任ではないと思っている。最大の問題はスペイン王室の姿勢と考えている。
宗教改革の結果カトリックは北欧州でその勢力を失い。その失地回復として欧州以外にも布教を始める傾向を強めた。イエズス会などがその中心である。ところがこれらの活動のスポンサーであったのがスペイン王室である。スペイン王室は帝国主義傾向の強い王朝であり、布教と植民地化を並行して進めてきた。これを秀吉、家康に見抜かれたので、キリスト教禁制となったと思っている。
また、仏教と違う点がもう一つある。仏教伝来時は、日本の技術がまだ未熟であり、仏教に同伴した先進技術は日本では真似が出来なかった。ところがキリスト教伝来時は、日本の技術は高度なものがあった。鉄砲など即時に国産化し、当時世界でもっとも多数の鉄砲が使用されたのが関ヶ原の戦いと言われるほどになった。
所謂キリシタン大名も純粋にキリスト教徒になったのは有馬晴信など数少ないと思われる。大友宗麟にしても黒田如水にしても洗礼名と法名の両方を持っているのである。彼らは戦国に勝ち残る為にキリスト教に帰依した方が有利だと思ってみたに過ぎないのである。従ってキリシタン禁制になってもいっこうに苦にならなかったのである。
仏教はキリスト教禁制の為に利用された。寺院は檀家制度の元に民衆の統制の為の体制の一機関となった。この為に宗教的活動は衰微するのである。
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