無荒史談147-日本の戦-壬申の乱 ― 2008/11/29 19:04
これは皇位継承戦争である。ところで弘文天皇の実力は天智天皇が買いかぶりをしていたようである。親の目に狂いがあったのである。
弘文天皇は皇族の中で孤立していた。兄弟の中で同調して戦った人はいない。姉の持統天皇は天武天皇の皇后として敵軍にあったし、施基、川島の両皇子はその後の天武天皇時代に活躍しているのである。施基皇子の子供は光仁天皇である。
更に后の十市の皇女は天武天皇の娘であったが、夫を裏切り父に内通しているのである。
なお、弘文天皇の子供も命を助かり曾孫は有名な淡海三船である。ただし、この系統の母は十市の皇女である。
天武天皇はいわば弘文天皇を生け贄にして改新不満派のガス抜きをしたようなものである。乱の後天武天皇は大化の改新の総仕上げに邁進したのである。
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