無荒史談182-征夷大将軍-源実朝 ― 2009/03/19 19:20
無荒老の推測では実朝は将来公家となるべく育てられていたと言うことである。武士の棟梁としての兄、武士の代弁者としての公家の弟、これこそ頼朝が描いていたストーリーと思っている。
この構図は頼家が武士の統領として失格したために崩れてしまう。実朝は急遽武士の統領の地位を押しつけられてしまう。
実朝が彼なりに努力したことはよく知られている。しかし、元々公家として育てられていたため、ついに武士の統領となることは出来なかったのではないか。武士としての腕を磨かなかったことは知られている。また、実害はさほど無かった様であるが異常行動が時としてみられている。また、彼に子供が出来ないと言うことは公然の秘密であったと見られ、存命中から後継者に皇族を頂くことが画策されている。
「山はさけ海はあせなん世なりとも君に二心我あらめやも」に表されるように彼は朝廷と幕府の衝突は避けたかった。しかし、後鳥羽上皇はそうは思っていなかったと思う。「奥山のおどろがしたも踏み分けて道ある世ぞと人に知らせむ」
後鳥羽上皇の野望と武家政権の存続の狭間において彼は不遇の死を遂げるのである。公式の場でしかも丸腰で暗殺されるのである。丸腰で暗殺された将軍は他にはないのではないか。無荒老は暗殺した公暁の黒幕が後鳥羽上皇ではなかったかという懸念を持っている。「最も利益を受けるのが真犯人である」という格言から見れば、実朝が死んだら自己の利益になると思っていたのは他ならぬ後鳥羽上皇ではないか。
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