独法理事公募-競争率47倍2009/12/01 19:02

天下りの解消策の一つとして独立法人理事の公募があった。

その結果50のポストに2386人の応募がありそのうち122人は官僚OBだった。

競争率は47倍にも及ぶ。無荒老の予想以上に高い倍率である。

新任理事は可成り苦難の道を歩まねばならないと思うがこれだけの人が集まったのである。中には当該独法の改革に熱意を燃やしている人もいるであろう。このような人こそ選任されるべきであろう。

新任理事はドラスティックな組織改革をリードしなければならない。現在の組織内の人間とは強烈な抗争を強いられるであろう。

また、組織の存続に関わる組織自体の存在価値の発揮にも苦労することであろう。

望むらくは現在の組織内の人間が新任理事に協力を惜しまないことである。公募理事に反抗を繰り返すとき-それは組織の終焉を意味する可能性が高いのである。

プルサーマル-人類にとって必要な技術である2009/12/02 18:58

玄海原発でプルサーマルが営業運転開始した。

ここで言いたいのはこれが人類にとって必要不可欠な事業であることだ。

プルトニウムという物騒な代物は原子力発電をすれば必ず副産されるのである。何もしなければ核兵器の原料にしかならないのである。しかも極めて毒性の高い物質でもあるのだ。

人類はプルトニウムが蓄積しない様にしなければならない。これは平和のために必要なことであるのだ。

技術的にはまだ未完成の部分があるかも知れないが、それを確実に解決してゆかねばならない。兎に角プルトニウムは蓄積しない様にする必要があるのだ。

安全上未解決や懸念もあるであろうが、人類は何らかの手段でプルトニウムを処分しなければならないのだ。プルサーマルはその有効な手段でもある。もっと実績を積んで安全性を高め、どんどんプルトニウムを消費して欲しいものである。

重ねて言う。人類はプルサーマルなどで核兵器の原料となる物騒な代物を蓄積しない様にしなければいけないのである。

この意見に反論する場合は、プルトニウムを蓄積しないための別の方策を提案して欲しい。原発自体を否定する場合は、世界中のエネルギー使用の絶対量を1/3以下にする具体的な方策を示して欲しい。

自民党再建-保守本流という事に徹すべきではないか2009/12/03 19:27

自民党は今もだらしない。総選挙の敗北のショックからまだ抜け出せないと思われる。

現在「自由民主党とは何か」が問われているのである。これに明確な回答がない限り次の参議院選挙での勝利はおぼつかないのである。

次の参議院選挙での民主党の作戦は丸見えである。来年度早々から公益法人に対する事業仕分けをして、民主党人気をあおり立てて選挙に勝利することである。来年初めには不景気による鳩山人気のかげりがあっても事業仕分けで十分取り返せると思っていることに間違いはない。

ところで自民党にはそれに対して有効な対策を作ることが出来ないでいる様に思われる。

政権与党でなくなった今、自民党は「保守本流」の意義を国民に示すべきではないか。それが出来なければ民主党批判票が自民党に復帰する可能性は少ないと思う。

自民党は万年野党でその結果衰退した旧社会党の様なことをしていては、その轍を踏む危険性があるのだ。国民に「保守本流」は何をするのかを明確にしない限り党の再建は困難となるのだ。

普天間移設-議論百出となった2009/12/04 18:58

普天間基地の移設は政権交代を機に過去の日米の話し合いをそっちのけの議論百出となっている。

ところが相手のアメリカの意志など無視した状態である。これはアメリカにしてみれば面白くないことである。折角の合意が保護にされてしまったのである。勿論その合意が日本国内で了承されたとは言えなかったが。

ここでひとつ言えることは日本国内で米軍基地を新たに受け入れることはデメリットが多いと見なされていることである。特に風紀や犯罪の面で好感を持たれていないのである。

米軍基地を受け入れることがその地域(日本全体という視点ではない極めてローカルな話である)に取って大きなメリットが得られない限り基地の移転は困難なのである。

まず行うべきは米軍基地がその地域にとって非常にメリットがあるものとするにはどうするかではないか。極論すれば沖縄県民が「基地よずっといてくれ」という位の改善がなされない限りトラブルは続くと見ている。

基地のあり方そのものを改善しない限り移転に伴うトラブルは絶えないのである。

無荒史談232-日本の神々-護王神社2009/12/05 19:07

和気清麻呂、広虫の姉弟を祀る。この兄弟は奈良時代の末に称徳天皇が宇佐八幡の神託として僧道鏡に位を譲ろうとした時、神意を確かめるとして宇佐神宮に派遣され、その神託が偽物として答申し、皇統の一系を保った功労者という。

この2人は時の政府の弾圧を受け、流罪に処せられたが、称徳天皇が崩御し、光仁天皇が即位するにおよんで名誉回復し、官位も元に復した。

尚、この二人はこれ以外での業績はほとんど無く、広虫が幼児を集めて保育したという伝承があるだけである。