ギリシャ金融危機-日本も用心しろ2010/05/01 18:52

ギリシャの金融危機が世界経済に色々な影響を及ぼしている。ところで当のギリシャでは強いられる耐乏生活に国民の反発が増大している。しかも、ギリシャはユーロ加入の厳しい条件をいったんはクリアしたのである。

これは他人事ではないと思う。日本は国債の残高が突出しているのである。円が今の水準であるのは奇蹟としか思えない。

これは従来からの経済政策の問題もあるとは思うが、政府はもっとシビアに実態を国民の前に示すべきであろう。

当局はプライマリーバランスがそのうちに達成できる様な説明をしてきた。しかし、それは幻想ではないか。どのような手段でプライマリーバランスが可能なのかもっと具体的に示すべきである。

恐らく国民の負担増=増税なしには達成できないであろう。非常に不人気なことは解っているが、この際国民の負担増が必要なことは数字で明確にすべきなのである。また、マスコミも冷静に報道すべきなのである。

国民に負担増を求める以上官僚の無駄遣いは根絶しなければならない。事業仕分けを徹底して国民にこれ以上無駄な経費はないということを理解させる必要があるのだ。勿論官僚もこれを理解して既得権益など辞退すべきなのである。

増税は必要であろう。しかし、それは同時に消費不況につながるものである。十分に策を練る必要があるし、国民の理解が得られる様に説明する責任があるのだ。

我が改憲論(上)-序及び明治憲法の功罪2010/05/02 18:50

憲法記念日に際し、無荒論の改憲論を述べる。3回シリーズである。

無荒老の改憲の理由はただ一つ、現行憲法が制定されて60年以上経ったので見直しが必要というだけである。

そのためには明治憲法と現憲法について言及する必要があると思うのだ。今回は明治憲法の功罪を論じよう。

憲法の良否はそれが有効である期間の国の実態が表しているという前提に立って義論を進める。憲法の条文の問題でなく、それを行った国民の示した実績が憲法の価値判断であるのだ。

明治憲法の功績はなんといっても極東の名もない島国を世界の列強に押し上げたという実責が物語る。そして成功しなかった例がみられるものの東洋の諸国で明治憲法を見習った立憲君主国憲法が多く制定されていてるという事実がある。

失敗はなんといっても軍部の跳梁を招いた点であろう。これはついに国を誤り国民を塗炭の苦しみに追いやるという結果を残した。

しかも昭和初期の過激な青年将校は軍国主義の実現のために明治憲法も無視しようとしたのである。それは彼らが唱えた「昭和維新」の中に憲法の停止が含まれていることからも立証できる。

世界の列強に伍すという実績の反面、国の存続を危うくする様な事態を招く様な瑕疵を持っていたのが明治憲法ではないか。

それにしても事態に適合する柔軟性に欠けており、軍部の暴走を防ぐ処置が取られなかったのは致命的な欠点であった。

我が改憲論(中)-現憲法の功罪2010/05/03 18:50

まずはじめにこの憲法が「自主憲法」に非ずという方は一度当時の記録を思い出して欲しい。

明治憲法から現憲法への如何は明治憲法の規定どおりになされている。手続き上には何も問題はない。次に現憲法をそのまま賛成したのは現に改憲論を唱えている勢力の前身なのである。逆に「護憲」を唱えているのは当時自分の提案が否決された後に現憲法に賛成した旧社会党と憲法に反対した共産党なのである。現状は皮肉としかいいようがない。

現憲法は敗戦で全てを失った極東の島国のものとして誕生したのである。何が書かれていようとも世界の諸国は関心がなかったと言える。

むしろこの憲法を最大限に利用したのは当の日本人ではないか。実績がそれを雄弁に物語っている。

この憲法の下、日本は第二次大戦後の全ての武力衝突と無縁であり続けた。それは経済面で極めて効果的であった。戦争で廃墟としなった国が世界の経済大国となったのである。これは現憲法の最大の功績であろう。

ところが現憲法の弱点がここに来て出てきたのである。憲法制定後「一億総中流」という概念が生じ、これは経済発展の一つの原動力であったとみて良いであろう。しかし、これが崩れつつあるのではないか。これは現憲法が年を降るにつけ勤続疲労を起こしたと見るべきではないか。

巨視的には多大の貿易黒字、国内的には多額の財政赤字、社会的には格差の拡大、さらにはワーキングプアの存在など憂慮すべき課題が出てきたのは憲法の勤続疲労が原因ではないかという気がする。

ところでこのような現象は明治憲法の晩年でも起きているのである。そして「青年将校」等の爆発の要因ともなっているのである。

この辺は護憲派といえども考えるべきではないか。

我が改憲論(下)-第三憲法への道2010/05/04 18:47

無荒老は「自主憲法」なる表現は大嫌いである。次の憲法は明治憲法、現行憲法に続く「第三憲法」であるべきなのだ。

改憲論者と護憲論者の間に激論が交わされているのは承知している。しかし、それでも解決する道はあると思っている。

その根拠はヘーゲルやマルクスが唱えた「弁証法」にある。つまりテーゼとしての現憲法に対するアンチテーゼとしての改憲論があるとみるのである。従ってアウフヘーベンできれば両者が共通の認識で新憲法を作ることは可能とみるのである。

そして護憲、改憲の両論ともに国を愛し民族を愛する気持ちの表れと解すべきなのである。自分の主張と異なるとしてもそれが相手方の愛国心の表れとみるべきではなかろうか。

無荒老は思う。相互に相手を「愛国者」と見なし、非難するのではなく一段高い視点に立つことがお互いに出来れば9条問題といえども合意できるであろう。これは妥協ではないアウフヘーベンである。

一方で現憲法下で出てきた社会のひずみについては、打開する他の規定を作る必要があろう。これを放置することは国を誤りかねないものと思う。

対立があればこそ一段と高いレベルでの検討が導かれる可能性は高いのである。現在の立場に固執することなくよりよい憲法作成とすべきではないか。

無荒老は期待する「第三憲法」の元で日本は過去の二つの憲法の制定後にみられる様な大発展をするということを。

無荒史談262-日本の神々-八幡宮2010/05/05 18:52

祭神は応神天皇とその母神功皇后他1柱である。もう1柱は神社で異なる。

 現在の本宮は宇佐八幡であるが、記紀によれば最初に神として顕れたのは熊本県の菱形八幡宮である。この神社の菱形の池は地中をとおり宇佐に通じており、そこに神として再び顕れたとなっている。

 仲哀天皇の皇后であった神功皇后は、夫の死後神託に従って新羅を攻めて降伏させた後、九州へ帰って応神天皇を生んだという。その地が「宇美」ということである。天皇不在の間、大和では他の皇子が政権奪取を試みていたが、皇后は武内宿彌と共に乱を平定して応神天皇を即位させた。その後摂政として政治をしたと伝えられている。

 神功皇后は古代の史書では歴代天子の扱いであることが多い。しかし、後世では皇后としての摂政ではあるが歴代から外された。

 応神天皇自体には武人としての実責はあまりない。しかし、この二人を祀った八幡宮は武士特に源氏の帰依が深い。ちなみに親征の実を挙げたとみられる天皇は初代の神武天皇と12代の景行天皇くらいである。