ローソク送電-戦後の電力不足期にはこんな事があったのだ2011/04/10 18:45

日本か戦争に負けた後の話である。このことが分かるのは恐らく後期高齢者ではないか。

日本は米軍の爆撃で大半の工場を失った。電力業界はその中でも比較的損害が少なかった。

昭和21年頃は電気パン焼き器など-トースターと違い小麦粉から作る物-などで電気消費拡大に努めたものだ。

ところが製造業の復興は速いペースで進んだ。電力業界の回復はそれに追いつかなかった。そこでとんでもない方法で庶民の電力使用を抑えたのだ。

それは電圧を下げて送電するという事であった。100ボルトでなく50ボルトくらいの電圧-詳しくは覚えていない-で送電するというのだ。電灯など薄暗くてどうやら部屋中が見えるというものだ。これを当時は「ローソク」と言った。しかも予告なしである。

無荒老はこの条件下で受験勉強をした。電灯が当てにならないので灯油ランプで勉強した。おかげで2.0あった視力が1年で0.4まで下がった。

この状況の中でも金持ちは50ポルト用の電球をヤミで仕入れて明々と生活していたのだ。

東電や東北電の管内ではまかり間違うとこのようなひどい目があるのではないかと杞憂する次第である。