12,600人-このデータから ― 2011/07/18 18:30
無荒老は脳死移植に批判的な態度を取っている。それは「人の不幸を当てにする医療は最善ではない」という論拠である。
また、脳死移植などを推進する諸機関は極めてデータの提示が少ないのが事実である。
無荒老はデータを開示すれば移植医療の欠陥が露呈されてしまうのを恐れているのではないかという疑問を持っている。一々調べるのは面倒だから積極的にデータを集めはしない。そんな人々に分かるようにデータを提供しないのが移植推進機関である。
12,600人というのは愛媛新聞の社説に依れば移植待ちの登録人数という事である。
これは恐るべき数字である。しかも現在の状況から見れば、年々増加してはいないかという疑問が持たれる。
一人当たりの移植にかかる医療費がどのくらいであるかは知らないが可成り多額となる事は推定できる。ではこれだけの人数に移植する場合、どれだけの金額になるか、移植推進機関に計算して欲しい。予想できるのはその金額が公的医療制度の負担限界を超えるのではないかという事である。つまり「金持ちのための移植制度」となりかねないのではないか。
次にこの数字は年々増加するであろうという事である。とにかくドナーよりも患者の増加の方が多いという事が容易に類推できる。
次は日本が長寿国という事である。臓器移植に適する人の死亡率は他国と比較して低い水準である事が予測できる。しかも医学の進歩でこれは減少する事はあっても増加は見込めないのである。つまり供給できる人数は外国より少ないと見るべきではないか。
最後に移植を受けた患者のその後のフォローデータである。どのくらいの比率で正常な生活か遅れるようになったという報告は今回もなかった。
纏めると臓器移植推進機関は都合の悪いデータを故意に国民の前に隠しているのではないか。という事だ。
いまのような運動では限界があるのだ。いまの「泣き落とし」では限界があるというものだ。尤も威張って強制しているキライもないとは言えないが。
最近のコメント