釈迦成道会-この際仏教界に提言 ― 2011/12/08 18:39
今日はお釈迦様が悟りを得た記念日である。無荒老は仏教徒を自負し、仏教関係の活動に参加している。
ところで常々疑問に思っていることがある。それはお経に関してである。
仏教の行事で読まれるお経は古い中国語の発音で棒読みされている。何故日本語に翻訳されなかったのだろうか。あるいは日本式の書き下しで読まれなかったのであろうか。
日本の仏教の歴史を見ると多くの改革者が出ている。しかし、誰も漢文で書かれたお経の棒読みを踏襲しているのである。現在はお経の日本語訳がいくつも発表されているが、行事には全く採用されていない。
これを聖書と比較すると宗教改革の時自国語に翻訳されている。そしてそれが「標準語」の母体となっているのだ。
葬式の時にお経が漢文のまま棒読みされる。死者も参列者も意味は分からないのである。
仏教界に碩学も多数居られる。経典を日本語として公式に翻訳し、行事で読むように出来ないだろうか。参列者に分かりやすくすることが仏教の今後のためになるような気がするのただが。
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