「平清盛」-史実はこうだ11-藤原信頼2012/07/14 19:03

彼は中納言であるので建前は信西より上である。しかし、能力は信西よりにはるかに及ばなかった。ただ、全くの無能ではなかったようだが、例えれば課長止まりの人間が社長になろうとしたということだ。

得によくなかったのは、上皇のお稚児さんであることで権力を振るえたことに気がつかなかったのである。この男色関係は当時隠れもない事実であった。NHKはここまで表現できなかった。

信西を殺した後に政治家として荷が重いことが露見して、貴族階級に見放されたのである。天皇、上皇をはじめとして全員彼から離れていく。逃げ出さなくて馬鹿を見たのが義朝である。

ちなみに合戦の時鎧を着用していたので貴族でなく武士として扱われ死刑となった。ちなみに文官は死刑となることはまだほとんどなかったのである。

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