「平清盛」-史実はこうだ13-関白藤原基実2012/07/29 17:25

藤原基実は不思議な存在である。16才で関白となり、23才で死んだ。(死んだ時は六条天皇の摂政)

少年と言うべき年で二条天皇即位と共に関白に就任した。それだけの素質があると見なされていたのかも知れない。

平治の乱では、信頼と姻戚であったのに率先して清盛の陣に入っている。愚管抄では清盛がこの行動に喜んだ様子が描かれている。

平治の乱後は清盛と共に仲の悪い後白河上皇と二条天皇の仲を上手に取り持って事なく世を治めている。清盛は基実に幼い娘を嫁がせているのである。

所か23才の若さで急死してしまう。愚管抄では清盛が取り乱した様子が描かれている。恐らく平氏と貴族階級とを美味く調整していたのではないか。

彼の死後の遺産配分を巡って清盛と藤原氏とは反目する羽目となる。清盛とあろうもの側が娘のために藤原家の財産を「横取り」したと見なされたのである。

彼の死後政治がおかしくなり出す。それまで大臣になっていなかった平氏から清盛が太政大臣までなるし、重盛、宗盛も内大臣となるのである。平家の公達が官位をえるようになり貴族階級に不満が出てくるのである。

彼の死後清盛の政治に狂いが出始めるのである。貴族階級が清盛から離反し始めるのである。最後には平家と密接な関係にあった基実の子基通までも平家を見捨てるのである。

彼の死は藤原氏が五摂家へと分裂するのに繋がっている。基実は生きている時は平穏であったのに、死んだ後で色々な問題が出てくる不思議な政治家である。

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