「平清盛」-史実はこうだ15-二条天皇2012/08/12 17:19

女と見間違う優男であられたようだ。また、学問好きでその実力は可成りのものであられたようだ。後白河上皇とは可成り性格も違い真面目なので鳥羽上皇は後白河天皇をとばして二条天皇の即位も考えたようである。

公私のわきまえをされていたようである。父の後白河上皇とは犬猿の仲であったが、こと政治に関しては同じ路線をとられていたようである。愚管抄には数年間両者心を合わせていたと記されている。変則的であるが天皇の治世は二頭政治と見なされる。

蓮華王院の事件であるが、上皇が私的に建設された寺院に天皇が公式に出向くことは出来ないという姿勢なのである。

清盛はこの中の悪い親子に上手につきあって勢力を伸ばしたと考えられる。

先々帝の近衛天皇の皇后を見初めて皇后としたり、藤原忠通の娘を中宮としたりされたが子供が出来ず、生まれたのは身分の低い家の娘の子だけであった。天皇は病気となり、自分の血統に皇位を継がせようとしてこの乳飲み子を次の天皇として譲位した。これが六条天皇である。天皇は譲位後間もなく崩御した。

六条天皇はこのような出生のため有力に臣下がいない。まもなく平家の血を引く高倉天皇に譲位し、元服年齢に達する前に崩御した。

二条天皇の崩御で変則的な二頭政治は解消され、本格的な院政が始まるのである。