「平清盛」-史実はこうだ17-日宋貿易-黄金の國ジパング2012/09/09 17:23

日宋貿易を清盛が推進したのであるが、日本からの輸出品について触れられていない。

実は日本は当時技術後進国であり、宋へ輸出するのは金銀しかなかったのである。

そのために中国に日本には金銀がたくさんあるとの誤解を与えた。これが次の元の時代にヨーロッパから来たマルコポーロが「黄金の國ジパング」と紹介する根拠となったのである。

当時の金の産地は奥州であり、奥州藤原氏が支配していた。義経を連れて行った金売り吉次も奥州から金を運んだ商人の一人である。

頼朝、義仲の挙兵で金の輸送ルートが源氏に押さえられると平氏は困ったに違いない。

奥州の金は奈良時代の大仏建立に際して日本中に金産地を探したことに始まる。それまで日本に金鉱はなかった。

最初に金が見つかったのは陸奥の国である。お祝いに当時の陸奥の守は位が特進するし、改元はなされるし、武将にして歌人の大友家持はお祝いの歌を献上している。

余談であるがこの歌の一部が旧日本軍の鎮魂歌「海ゆかば」である。

欧州の国の金に最初に目を付けたのは源氏である。前9年、後3年の役で勢力の浸透を図った。あまりのことに朝廷は源氏を陸奥の守から離した。そこで得をしてのが奥州藤原氏である。金を支配したので今日まで伝えられる栄華を堪能したのである。