「聖徳太子」教え方が元に―役人は厩戸王を知らなすぎる ― 2017/03/20 15:59
文科省は歴史教科書での「聖徳太子」の記述を元に戻すらしい。
どう書く事になるのかは知らぬが、どうもなぜ「聖徳太子」という立派な称号が贈られたかについては説明できないようだ。
無荒老の少年時代にも明確な話は無かったと記憶する。つまり当時の文部省もよく説明しなかったのだ。
これは古代の話だけを見ているから説明できないのではないか。中世の文献を見ると「王法、仏法共存共栄の創始者」という形の表現が随所に出てくる。古代にもあるかも知れないが。
つまり既存の政治体系に仏教を調和させた人と言うことだ。これならば「聖徳太子」という立派な称号を贈られる価値があるといえる。
このシステム(神仏混淆もその流れ)は飛鳥時代から明治維新の廃仏毀釈まで延々と続いている。
神仏混淆を頭に入れて歴史の本を読むと納得できることが多いのだ。
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