水戸学から皇国史観へ-1-光圀の時代2018/05/30 15:53

皇国史観は歴史や古典を読む上で障害になる。一例を挙げると太平記だ。当時の史観を持って読むと最後までおもしろい。

皇国史観は光圀の大日本史編集開始から始まり、明治政府で水戸学による史観が取り入れられて形成された。

水戸学始まりの光圀の業績を見ると後世の皇国史観と可成り異なっているのに気づく。

水戸学の原点といえる「伯夷・叔斉」の物語など後世に出てきた暴力是認の話はない。

もっぱら「名分」を重視した話であり、言論は激しいが実力行使など考えていない。もっぱら文筆による主張中心だ。この点が後世と大きく異なる。

水戸学批判者から南朝正統論に所見が出されている。それは徳川氏が新田氏系統というので新田義貞を「逆賊(北朝)」から「忠臣(南朝)」にするための細工というものだ。

大日本史は多くの文献を集めて作成してあるが、光圀の主張に基づいて取捨選択されており、あまり価値のない文献が採用されている点がある。南朝正統にこだわったので大日本史は南北朝が終わる後小松天皇で終わりにしている。

名分を重んじた例としては神功皇后をそれまでの定説である15代天皇から除外し、弘文天皇を新たに挿入するなど以前の定説を覆した事例が多い。

名分重視で尊皇を表に出したが、それまでの「暗君」を認めなくなった。それまでの史観と大きく異なる一例だ。

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