水戸学から皇国史観へ-4-戊辰戦争2018/06/03 16:06

戊辰戦争は錦の御旗が威力を発揮した。

尊皇の気持ちを持っていた幕府は恭順の意を示した。同じように諸藩も恭順した。

しかし薩長軍は軍事作戦に同調を強いたり、言いがかりをつけて開戦している。

さらに近藤勇や小栗忠順などは有無を言わさず処刑した。会津藩は家老の切腹で始末した。さすがにこれらは列強の評判が悪く箱館戦争では降伏で処理した。函館の賊軍はその後許されて明治政府で大活躍している。首領の榎本武揚など功績で子爵になった。

ここで「尊皇」と「佐幕」を対立するものに仕上げたのは水戸学の犯罪的行動だ。尊皇と佐幕は両立しており、佐幕に対するものは「倒幕」だったのだ。それでないと幕府関係の「恭順」が説明付かない。

「尊皇」を政権奪取の道具とした倒幕勢力の方がむしろ皇室を大事にしていなかったとみられる。

「我は官軍」で始まる抜刀隊の歌には朝敵にさせられたまたはされそうになった人々の思いがあるように思える。薩摩に対する恨みを晴らすものとも。(この歌は西南戦争のときのもの)