食の安全2008/02/01 18:59

昨年は国内で賞味期限の偽装問題があったばかりである。

今年は中国の冷凍食品の農薬混入問題である。

食の安全は信用の問題である。これは食べても大丈夫という信頼関係で成り立っていることを忘れてはいけない。

無荒老は現状は国内食品関係者について業績向上のチャンスと見ている。

食は安全と味とが勝負となる時代である。これを相備えた食品が市場の勝利者となる時代と言えるのではないか。

国内の農業も食品産業も頑張り甲斐のある時代が来たのではないか。信用こそが市場で勝つ為の重要条件である。

無荒史談42-逆臣の尊皇7-足利尊氏2008/02/02 19:14

足利尊氏は古来逆賊の代表格として扱われていることが最も多い人物である。しかし、歴史を注視すると必ずしもそうでなく、皇室を大事にした面も少なくない。彼が朝敵となった背景に弟の直義が綸旨を偽造して反逆せざるを得ないと説得した話は太平記の有名な下りである。

彼は後醍醐天皇に対して敬愛の念を失っていない。当時の大勢に逆らえずやむなく天皇と対立した面も伺われる。後醍醐天皇の崩御の報に接し、菩提をお弔いする為に天暦寺を建立したのはその一つの表れである。

尊氏は、持明院系の天皇を擁立したのであるが天皇制に対してこれを疎略に扱った土岐頼遠や弟の直義、高師直・師泰の兄弟などは最終的に抹殺ししているのである。

尊氏が対立したのは後醍醐天皇の失政に対するものである。後醍醐天皇は太平記にもある様に名君にはほど遠い存在であった。「後醍醐」という諮号を望んだ様に時代錯誤があった君主である。本当に天皇親政を考えるのであれば、その捨て石となった天武天皇などを理想とするべきであったであろう。醍醐天皇は安定時の名君であり、乱世に通用する治世の担当者ではなかったのである。

楠木正成は、この点を承知していた。彼は後醍醐天皇に足利幕府の創立を進言しているのである。この提案が受け入れなかった後の湊川の合戦で彼は戦死したのである。

毒入り餃子の原因追及は困難か2008/02/04 19:39

毒入り餃子にどのようにして農薬が混入されたのか現在調査が続いている。

無荒老は製造現場を担当して事がある。その時の経験から述べると、このように全く想定できなかった事件の原因は次の二つに大別される。

単純なミスであり、しかも当事者がその重大性に気付いていない場合。-これは割合簡単に見つかる。今回もしこの事例に該当するのであれば、農薬と知らずに何らかの操作で製品に混入させてしまった場合に該当するだろう。

偶発的な事件が起き、しかも誰もそれに気付かなかった場合。-これはなかなか原因追及できない。二度と起きない可能性があるのである。今回全く偶発的であれば原因はわからずじまいになることもあり得る。無荒老の経験では、製品異物混入の疑いがあり、ネズミ1匹の為に一日分の製品全部の包装を解いて調査したことがある。それでも解らずに途方に暮れていたら、下水溝からネズミの仕業と見られる証拠(混入したと見られる異物)が出てきたのである。

当事者の方は大変だと思う。信用に関わり企業倒産に追い込まれるのである。諦めることなく原因を追及して欲しい。原因がわかれば対策が立てられ安心できるのである。

無荒史談43-逆臣の尊皇-付属-二位の尼2008/02/05 19:04

中世の歴史書「愚管抄」には「ユユシカリレル女房也」とある。彼女の行動は空前絶後と言える。日本史全体を通じて唯一の事件を起こしたと言えるものである。

彼女は平氏と共に天皇制そのものが滅びる様にしたのである。三種の神器の内,宝剣を腰に差し、勾玉を懐に入れ、安徳天皇を抱いて入水した-幼少の天皇と無理心中した-のである。幸い勾玉は、見つけることが出来たが、宝剣はついに見つからなかった。

仮に安徳天皇がご存命であったとしたら、皇位より離れた皇族として生涯を終えられたであろう。その他の同じような運命の皇族の方と同様に。

三種の神器のもう一つの神鏡は、無事に船中から回収できたので、宝剣のみが失われたことになる。宝剣紛失の件について、宮中にあった宝剣は熱田神宮にある本物の代わりの品であるから構わないと言うことを北畠親房は述べているし、武士の世になったので宝剣は必要なくなったと慈円は述べている。

三種の神器を粗末にした例はこの外にはない。南北朝の混乱期でも神器は大切にされ、両朝統一の際にも譲渡されている。廃棄しようとしたのは二位の尼をおいて他にはない。

戦前の教育で二位の尼に関して悪役扱いしたのは記憶にない。しかし、当時の教育方針から見れば最大の逆臣として扱うべきではなかったろうか。

逆臣達の尊皇の項終わり

税金使用する時の姿勢2008/02/06 18:54

道路財源や社会保険庁の予算執行に関していろいろな意見が出されている。

しかし、労働者に対する福祉に関する支出は多くの企業で実行されているのである。

世間の企業で認められている範囲は許容すべきであろう。

問題とすべきは国民の支出で運営されている経費を国民に納得できる形態で説明できるかで゛ある。

これらの支出は、企業活動の常識に基づいて判断したらよい。無荒老の意見はマッサージチェアは福利厚生費として認めても良いが、カラオケ設備は認められないというものである。野球用品も又認めるわけには行かない。

マスコミも全てを否認するのではなく、福利厚生費として妥当か否かを議論すべきではないか。変に騒ぎ立てることは、企業の福利厚生活動に悪影響を及ぼすのである。