公務員制度改革の行方2009/02/01 19:01

この2、3日の報道を見る限り麻生内閣において公務員制度の改革は無理という気がしてきた。

第1に「渡り」政令の撤回問題である。これが出来ないのは官僚の強烈な抵抗に押し切られたとしか考えられない。撤回できない政治情勢にはないのである。

第2に人事院総裁が行革大臣主催の会議をボイコットしたことである。このような人物を罷免できないようでは官僚の思うままにしか政治が出来ないと言うことである。

政治家には選挙がある。最高裁長官には国民審査がある。しかし、官僚について国民がどのように考えていても止めさせる手段はないのである。唯一考えられるのは選挙で選ばれた政府がおかしな考えを持つ官僚のトップを罷免するくらいなのではないか。

無荒老は考える。行政の事務方のトップクラスは、国民の投票によって信任を受ける必要があるようにすべきではないか。官僚が如何に国民に好ましく無くても現行の法体系では辞めさせる手段はないのである。

官僚の側からしても、自己の考えに自信があれば、国民審査を堂々と受けて立つことが出来るのであろう。

無荒史談168-日本の戦-日清戦争2009/02/02 19:01

19世紀になり欧米列強が極東に進出してくる事態となると今までと国の安全に関する見方が違ってくる。それまで気にも留めていなかったが朝鮮半島が欧米列強の植民地にでもなれば、日本の安全は危機に瀕するのである。日本としては朝鮮半島が欧米の植民地化するのは避けたかったと思われる。事実幕末の志士の中には中国や朝鮮との連携を取ろうとした人物もいた。

この時代の李王朝の行動は、日本政府にとってもどかしいものだったに相違ない。結局日本は朝鮮半島を自己の勢力下に置くという方針を採る。そして衰退期にあった清帝国に代わって朝鮮半島に勢力を伸ばそうと考えた。

日本は欧米諸国に倣って帝国主義を選ぶ。口実を付けて李王朝に干渉し、清国に挑戦する。清国は国内の不統一で北洋軍のみが戦闘に参加しただけである。清国は軍事改革に成功した日本軍の前に敗れる。清王朝は逃げ場を失った。清王朝が逃げる先は満州であるが、これは日本軍の方に向かって逃げるようなものである。日中戦争で蒋介石が重慶へ逃げられたのと訳が違う。

日本は李氏朝鮮に対する影響力増大し、干渉する。負けた清国からは台湾と遼東半島を割譲させた。遼東半島は軍事的に極めて重要なところである。ここは三国干渉で返還せざるを得なかった。それだけ当時の日本の安全上重要だったのである。後にロシアが租借して日露戦争用の対日軍事拠点に作り上げていく。

国家公務員改革2009/02/03 19:12

国家公務員の改革はまだ生ねるいのではないか。

予算の中でそれが毅然として示されねば不完全であろう。

兎に角同じ事をやるのなら前年度より少ない予算でやるという原則を実行すべきである。これは民間では主要企業では常識なのである。民間より上の意識がある「お上」がやれないというのはおかしい。

民間企業であれば、前年と同じ仕事をするのには仕事のやり方を改善して8割くらいの費用でやり遂げるのが常識である。中央官僚はこんなことはやっていないのだから、前年の半分くらいで出来てもおかしくないのである。

同じ仕事をやるのなら金も人も前年度以下にせよ。新しい事業をやるのは人員を増やさずにやれ。

政治家はこれを官僚に強制することを明言して欲しい。

内需振興策2009/02/04 19:00

内需振興が不況脱出の有効手段として唱えられている。しかし、これはそう簡単に行く話ではないのである。

何しろ現在は「飽」の世の中であると言うことを認識すべきである。市場だけでなく各家庭にも品物は有り余っているのである。

食品などの消耗品などでない限り各家庭では品物を買わなくても我慢できるモノである。

定額給付金にしても現状の消費予定にないモノを購入しない限り効果は出ないのである。

つまり欲しくなったら財布の中身をあまり考慮することなく買うようにすべきなのである。これは収入が安定し、増加することが期待できることなのである。

内需振興は安定した仕事を供給することにつきると思うのである。世界的な不況の中、どのようにして国民のために仕事を確保するのか。政財界に与えられた課題であろう。

無荒史談169-日本の戦-日露戦争2009/02/05 19:09

日露戦争の陸上戦の舞台となったのは、帝政ロシアの租借地であった旅順と大勢が決した後のサハリン占拠を除けばれつきとした中国の領土である。勢力圏争いの典型的な物である。

帝政ロシアの戦略には可成り無理した面があり、局地的に集中していた日本が戦闘では勝利した。特に海戦ではロシア海軍の大半を喪失させ結果ともなった。陸上では日本は国力の限界まで戦い、補給線の延びきったロシアを南満州から駆逐することに成功したに過ぎない。

これは日本の国力の限界であり、ロシアが徹底抗戦を志したら日本は敗戦した可能性すらある。しかし、ロシア国内の厭戦気分が高まりツァーリは戦争の終結をせざるを得なかった。また、欧米列強はロシアが勢力を失うのは歓迎していても、ロシアが崩壊することは望んでいなかった。列強は両者が面子を保てる範囲で戦争の終結を歓迎したのである。

この時点で日本の取るべき道はいくつかあったと思う。最終的に取ったのは欧米型の帝国主義国家を建設する道であった。それを日本古来の道と称する国粋主義でカムフラージュしたのである。他の有力な手段はアジア民族主義に転向するものであった。但し、この場合は列強の帝国主義路線に挑戦するものであるので、可成り困難な道であったのであろう。事実日露戦争後には当時のアジアの植民地では日本が決起することを期待していた人もいたようである。