「平清盛」-史実はこうだ18-二人の伊豆の流人-為朝と頼朝2012/09/16 17:22

清盛が出家した1168年、伊豆には源氏の流人が二人いた。為朝と頼朝である。

この二人には変わった共通点がある。それは乱後捕まるまで1月経過したことだ。これは即時に処刑された他の親族と異なり命が助かった一つの理由であろう。

為朝は伊豆諸島にながされたが、その地の豪族の娘と結婚し、伊豆諸島を切り従えたという。遠慮すべき父は既にこの世になく、やりたい放題であったろう。

1170年に現地からの年貢を横領したとして追討された。この討っ手の中に頼朝に因縁がある伊東、北条氏の名前が見られる。ちなみにこの両氏は保元物語、平治物語で義朝の配下にその名はない。

頼朝は蛭が小島にながされた。ここは交通の便がよかったのか頼朝には多くの情報が流れている。母の関係者から京都の便りがあり、関東の武者は京の大番の途次訪ねることもあったようだ。

1170年には為朝は討伐されたが、頼朝は何の咎めも受けていない。

なお、為朝討伐の次第は保元物語にあるが平家物語にはない。