愛子内親王様11才2012/12/01 17:23

愛子内親王様が11才になられたので宮内庁から発表があった。

気になっていた登校拒否問題も解決されたようで国民として一安堵できた次第です。

バスケット部所属とのこと。リレーの選手であったので上手ではないかと思います。

弦楽部は父皇太子殿下の影響かも。

「平清盛」-史実はこうだ26-治承3年の政変-あまり知られていないが重要なこと2012/12/02 16:57

以仁王挙兵の前年の治承3年は重盛、盛子が死去した後に後白河法皇が仕掛けた挑発で政変があった。

ことの起こりは摂政藤原基実が若死にしたことにある。跡継ぎの基通は幼少であり、摂政の位は弟の基房に移った。藤原氏には代々の摂関が受け継ぐ所領があり、当然基房が受け継ぐことになっていた。それを清盛が横車を押して基実未亡人の盛子に受け継がせたのである。この事件は近衛家以外の藤原氏の反感を買ったのは当然である。

盛子が死んだ後、この領地を後白河法皇は基房が継承するという処置を取って清盛を挑発した。また、同時に重盛の分国も一代限りのように言って没収した。

これで起こった清盛が基房とその一党を辞めさせ、法皇を押し込めたのが治承3年の政変である。

ところが辞めさせられた人々の中に弟の頼盛がいるのである。

保元・平治の乱でその武勇を表した重盛と頼盛は平家家臣団に信望が高かったに違いなく、清盛が宗盛を後継者とするには邪魔な存在であったようだ。

清盛は次第にこの二人を追いつめていく。重盛は父に先立って死んだ。残った頼盛はこの時官職を辞めさせられたのである。

頼盛は自前の所領を持ち、八条院など皇室とのコネも持ち、一族の中でも有力な存在であった。清盛との確執が出た時、両者の合戦のデマが飛んだほどの実力があった。

頼盛は治承3年の時に完全に屈服し、「武士を辞める」と言って許されたという。

この結果保元・平治の勇将が頼朝、義仲などの征伐軍に加わらなかったのである。そして、母の池の禅尼が頼朝を助命したここともあり、頼朝は頼盛を平氏軍から切り離そうと策略するのである。

「平清盛」-史実はこうだ27-富士川の戦い関係2012/12/03 17:10

「戦い」とか「合戦」と言っているが実際は「対陣」である。まともな戦は行われていない。

まず源氏側であるが、武田氏と頼朝軍の連合軍と見たほうがよいとの説がある。当時の状況から見てこの方が妥当であろう。その後頼朝の勢力が増し、武田氏は御家人の位置に成り下がるのである。

頼朝の方から武田氏に使者を送ったというので両者は期を定めて富士川へ赴いたのであろう。

平家の方だがどうも源氏を過小評価していたキライがある。一門の中の武将は維盛と忠度の2人-平家物語による-のようであり、侍大将も少なかったであろう。後日の倶利伽羅の戦いに比べると少ないのである。この時は一門6人侍大将9人である。2人というのはもっと相手が弱い時に平家が採用している数である。

京都から出発した軍勢は、大番役で上京していた東国武士が主力のようだ。

途中で参加した軍勢は途中の諸国の武士を駆り立てたものである。

つまり平家譜代の家人はあまりいなかったようだ。これに対して源氏は先祖からの家人と称する武士が多かった。

対陣すると東国武士達は、脱走して頼朝に帰参するのが続出した。つまり敵を強化するためにわざわざ京都から連れて行ったようなものである。

源氏が強力なことを見てその他の武士も脱走するのが多かったようだ。遠江などは戦後無傷で源氏に勢力下になったのである。

平氏は戦わずに退却した。当時の資料の中には「水鳥の羽音」の記述のないのもあり、これは創作との説もある。

戦後の維盛の処遇もおかしい。何と直後に昇進しているのである。更に倶利伽羅の戦いでは北陸遠征軍の主将になっている。清盛に怒られたようだが、結局は処罰されていない。

笹子トンネル事故-原因究明は多くのことを考えて2012/12/04 17:21

今回の笹子トンネル事故で亡くなられた方々のご冥福を祈り、負傷された方々にお見舞申し上げます。

事故の原因究明は多くのことを勘案して徹底的にやる必要があろう。場合によっては同型のトンネルの全てを通行止めにして補修することも考えねばなるまい。

原因解明で無荒老が今気になっているのは次の点である。

何故130メートルも落下したのか。同時に130メートルも落下したのではないだろう。何故伝播したのか。

何故130メートルで落下が止まったのか。同じ事だが落下の伝播が何故止まったのか。

落下はどの部分から始まったのか。最初の落下から片側だけに走ったのか両側へ伝播したのか。

これらが説明できる解明も考えて欲しい。その他色々な人からの提案があるだろうから、それらも網羅して解明して欲しい。

ソフトバンク新人東浜選手-文武両道2012/12/05 17:08

ソフトバンクホークス新人の東浜選手が野球以外の特技として漢字検定と教員資格をあげた。

文武両道と言っているそうだが、この精神ならば優秀なプレーヤーとなるだろうし、現役引退後もしっかりした進路を進むと思われる。

ホークスはよい選手を取ったと思う。