無荒史談154-日本の戦-承久の乱 ― 2008/12/21 19:12
後鳥羽上皇は多芸多才の方であったが、肝心の政治・経済はダメであった。早くから倒幕を志したが、上級公家にはそっぽを向かれ、子供の土御門上皇からも反対されたが、イエスマンの側近の下級公家を集めて計画を進めた。この中で葉室光親だけは批判的であったようだが、上皇は彼を計画の中心に据えて協力させている。
計画は極秘のうちに進められたとされているが、状況判断してみると上級公家衆や幕府に対しても筒抜けではなかったかとも思われる。何しろ勝負は1月強で決している。何の準備もなしに鎌倉方の大軍が集まったのは不思議である。
計画はそもそも甘いものであった。義時追討の院宣だけで、武士は皆味方になると思っていた。ところがこの半世紀強の間に東国武士は3度も朝敵となっているのである。朝敵となることに脅威を感じなくなっていたのである。東国武士は義時に与した。再び公家階級に酷使される過去には帰りたくなかったのである。当時の武士の多数が大軍となって京都に押し寄せたのである。これで計画は無惨にも狂ってしまった。勝敗はこれで決まったようなものである。
後鳥羽上皇は保身につとめた。比叡山に援助を求めたが断られた。無荒老はこの背景として倒幕に反対していた慈円の影響を感じている。次いで敗走した味方の武士を御所の門を閉じて追い返した。武士達はいずれも上皇を恨んで死んだ。
後鳥羽上皇の行動は後の南朝の指導者北畠親房の神皇正統記でも暴挙と言われているのである。
最近のコメント