無荒史談191-征夷大将軍-足利義政 ― 2009/05/10 19:05
義教の暗殺で混乱した幕府は、落ち着きを取り戻し有力大名が出陣して赤松氏を滅ぼした。そして義教の長子義勝を将軍とした。しかし、義勝はまもなく病死してしまう。
当時の風習でもあり、将軍以外の子として早くから出家する予定であった義政が急遽将軍となった。出家する運命にあったので何一つ武士としての教育がなされていなかったのである。これは源実朝と相通ずるものである。
義政は文化人として一流であったが、政治家としては無能であった。有力家臣の中に起きた内部抗争を処理できないばかりか、自分の後継者に関しても優柔不断であり、一旦後継者とした弟の義視と、その後に誕生した実子の義尚との関係も決めなかった。
義視と義尚を後援する人々の間の争いと、有力家臣家内部の家督争いとが複雑に絡み合い、ついに応仁の乱が発生するのである。
義政は政治から逃避して文化的事業に打ち込む。嗣子の義尚が早世して後、次の将軍を義視の子義材とした。
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