女系天皇論―5―皇極天皇2017/12/19 15:08

皇極天皇の夫の舒明天皇が奉議をされたとき、「大兄」の名が付く皇位継承の有力皇子が3人もいた。山背大兄、古人大兄、中大兄の3人である。

ところがその3人を無視するようにスムースに皇極天皇が即位している。ただ、所生の中大兄はまだ16歳であり除外して良いかも知れない。

皇極天皇の治世は3年半である。この間の3人の大兄と蘇我氏の嫡流入鹿がからむ事件が相次いで起こる。そして生き残ったのは皇極天皇の皇子中大兄皇子だ。

皇極天皇は初の譲位をする。その理由は書記にはない。入鹿暗殺の指揮者である中大兄皇子は次の天皇にならなかった。皇位は天皇の弟の孝徳天皇に引き継がれた。

皇極上皇は引退しなかったようだ。のちに重祚して斉明天皇となる。

天皇の皇子である天智(中大兄皇子)、天武両天皇が後の政治に活躍する。大化の改新と律令制の確立だ。天皇は子供の即位に執念があったと考える。

なお、日本書紀や古事記のの作成を命令父の舒明天皇以降をした天武天皇は父の舒明天皇以降を「現代」と捉えていたか。古事記はその前の推古天皇までである。

なお、無荒老は蘇我氏の滅亡と大化の改新の因果関係がよくわからない。「大化の改新のために蘇我氏がどんな障害だったのか」