無荒史談 288 藤原忠実-摂関の権威地に墜ちる2013/12/21 16:47

関白藤原師通の急死で長男の忠実がその後を継いだ。当時22才、藤原氏のトップとなるには前例のない若さである。まだ大臣にもなって居なかった。実質権力の座にはあったが、関白となるのは数年後である。

 しかも祖父の師実も翌年には死去する。要するに未経験のまま相談する人もいないで最高の地位についたのだ。しかも、当時道長のような実力のある人物が藤原氏にいなかったので、取って代わられる事態も起こらなかった。

 その結果、世は完全に白河法皇の支配下となったのである。その上鳥羽天皇への入内に関して法皇の怒りを買うのである。白河法皇が娘の入内を進めた時は断り、鳥羽天皇が同じ娘の入内を望んだ時に承諾するのである。怒った法皇は関白の罷免を言い渡すのである。

 建前上関白は天皇が任命するのだから罷免することも出来るのだが、それまではそのような例はなかった。それが現実となったのである。すったもんだの末、息子の忠通が後継に落ち着いた。

 この事件以後摂政・関白は藤原氏のトップの別名となり、政治的な力は形式的なものとなるのである。ただ、藤原氏のトップには所領が付いて廻ることとなっており、摂関の地位争いは続くのである。