無荒史談 294 平治の乱-清盛だけが残った2014/02/01 16:55

平治の乱は分かりにくい。権力争い、陰謀と裏切りに武力が絡んだのである。

 後白河院の近臣である信西と信頼は反目していた。信西は才能におぼれていたようで、多くの人々から反感を持たれていたようだ。実力は認められたが何か上皇の威を借るところがあつたのかも知れない。信頼は院から破格の厚遇を受けている。男色関係の話もある。

 信頼が信西を排除しようとしたところから話は始まる。彼は義朝を語らって挙兵し、信西を殺した。この時信西は孤立無援で死ぬ羽目となっている。多くの公家達は信頼に同調したのである。

 権力を握った信頼はたちまち馬脚を現した。元々それだけの素質はなかったのである。公家達は直ぐに信頼を見限った。そして義朝の武力に対応できる清盛に頼ったのだ。そして謀略を使って信頼の手元にあつた二条天皇と後白河上皇を平家の陣に招き入れることに成功するのである。しかも清盛は支配する地域が近いので素早く兵を集められた。

 源氏が東国より兵を上京させることが考えられるため、直ちに平家軍は信頼、義朝の軍を急襲するのである。援軍が来ないため勇猛な東国武士も多勢に無勢敗退するのである。

 平家軍で特筆する活躍をしたのは頼盛と重盛である。それぞれ義朝の本隊と義平の搦め手と対戦した。ところがこの二人は共に後の源平戦争の時は平家軍にいなかったのである。

 信頼は捕まって斬られ、義朝は家臣の裏切りで暗殺された。義朝はどうやら京都の謀略について行けなかったと思われる。義平は一刺客として清盛を討とうとして失敗し殺された。頼朝は保元の乱の時の為朝同様1月逃げ延びて命だけは助かった。

 鳥羽法皇から二条天皇が親政する時のスタッフとして付けられていた藤原経宗らは、後白河上皇の近臣の信西、信頼の二人とも死んだのを期に二条天皇親政を推進しようとした。上皇は怒って清盛に命じて経宗らを捕らえて流罪とした。ここまでが平治の乱と言うべきであろう。これで清盛以外の実力者は居なくなったのである。