無荒史談 295 二条天皇治世-公は協力、私では親子喧嘩 ― 2014/02/08 17:20
二条天皇は父の後白河院と仲が悪かった。しかし、政治路線は共通していたのである。公的面では心を一にして政治をしたと愚管抄にある。
しかし、天皇の近臣を上皇が叱責し、上皇の近臣を天皇が咎めるなどひどい有様だった。
この状況の中、清盛が両者を上手く調整していたことが知られている。現実には摂関の地位にあった藤原基実が政治の実行役となっている。この時代の清盛はフィクサーのような存在だったようだ。
清盛は上皇の後宮に妻の妹を入れ後の高倉天皇を儲けさせている。また、藤原基実には娘を嫁がせている。このように勢力を伸ばすのに成功している。
親子喧嘩の最たるものは蓮華王院落成式である。後白河院の招待を二条天皇がこれは私的行事として参加を拒否したのである。近臣の泣き落としも効を奏さなかった。
二条天皇は若くして崩御された。次の帝はまだ乳飲み子の六条天皇であり、そのご生母は位の低い女性であった。このため後見者が居なくて六条天皇は物心付かぬうちに譲位するのである。
最近のコメント