「平清盛」-史実はこうだ20-池の禅尼2012/09/30 17:16

下世話に申せば平氏の「あげまん」である。

結婚後夫の忠盛は受領の家から見れば破格の出世をしている。公家目前までいったがそこで死んでいる。

禅尼は家成の従姉妹である。これを突破口にして各方面に人脈を作った。夫の出世に「モタエタルモノ」という賛辞がある。これは強力に支えたという意味である。

この人脈は保元の乱で驚くべき作用をする。禅尼は後白河側にも崇徳側にも情報源を持っていたのだ。後白河方の勝利を見越し、忠盛一家を後白河方に結束させたのである。

忠盛は巨万の富を持ち、武威人に優れながら人となり恭謙、いまだ奢侈の行いなしといわれて人望が高かった。これも内助の功であろう。

禅尼の死後その教えは次第に廃れる。「驕る平家は久しからず」となるのである。