無荒史談3-古代豪族平群氏の滅亡2007/10/30 19:52

古代豪族平群氏の滅亡は明確な記録がある反面、分かりにくいところもある。

平群氏が滅びた時期は、日本史の中でも年代の記録が不明な箇所に属する。平群氏が頭角を現した時代は雄略天皇の時代であるが、中国の倭王武に関する記事を信用すると雄略天皇の治世は502年頃まで及ぶ。一方継体天皇の時代から日本の記録と中国や古代朝鮮の記録が一致してくると言われているが、継体天皇の崩御の531年からその治世の25年を引くと即位の年は506年となる。この間は4年しかない。ところが日本書紀など記録から見るとこの間に5人の天皇がおられ、その期間は27年に及ぶ。

5人の天皇とは、清寧、飯豊(歴代に数えられていない幻の女帝)。顕宗、仁賢、武烈の各天皇である。

事実がどうであったのか見当がつかない。あるいは両統並立であったのかも知れない。

平群氏は顕宗天皇又は武烈天皇により滅ぼされたもので、天皇に手を貸したのは大伴の金村である。武烈天皇に関する他の記事から見ると、武烈天皇は若すぎるので、この事件は顕宗天皇の時と見られる。

顕宗、仁賢両天皇の父は雄略天皇に殺された為、両天皇は地下に潜っていた。雄略天皇の没後、清寧天皇に子がなかった為名乗り出たものといわれている。

顕宗天皇は、当時羽振りのよかった平群氏の跡取りと女性を巡る争いに敗れ、腹いせと平群氏に対する対抗策が絡んで大伴の金村と共に平群氏を攻め滅ぼしたと言われる。

なお、大伴の金村は、この後継体天皇の擁立にも活躍する当時最大の策謀家である。顕宗天皇の恋の恨みに便乗して平群氏を滅ぼしたとも考えてよいのではないか。