中国日本国債を買う-純粋に経済的に判断すべし2010/08/01 19:21

中国が日本国債を購入している。これをことさらにさわき立てる人もいる様だ。しかし、中国は純粋に経済的要因で行動していると見るのが妥当ではないか。

日本国債の金利は極めて安い。購入する気が起こらないほどである。しかし、銀行筋などは自己資本の確保のために購入している。一般市民でも確実な利払いと元本保証から購入していると思う。

何しろ有史以来日本国債は必ず償還されているのである。戦時中に発行された担保の不確実なものも額面・利子ともに保証されたのである。

現在の日本国債の低金利は国際的にはあまり魅力はないはずであるが、ドルやユーロが値下がりすることを考えると有利な投資に早変わりするのである。

これから見ると中国政府はさらなる円高を予測して日本国債を購入したと見るのはどうであろうか。

人民元に上昇圧力がある中国にとっては、さらなる円高は歓迎すべきものである。円高で一番利益の出る国はなんと中国ではないか。

財政再建-与野党協力は当然であろう2010/08/02 19:00

菅総理が財政再建に関して与野党の協力を求めた。これは当然である。

今までの財政再建議論は何か説得力を欠いていたのではないか。マスコミが変に個々の問題を通じて話を進めるのに政界が振り回されている。菅総理の消費税発言もその一つではないか。

政治家がここで明らかにすべきは、早く財政再建-当然税制改革を含む-に関する明確な説明をすべきではないか。

第一に挙げるべきことは財政再建に早く取りかからねばいけないと言うことで、先送りすれば国民負担は更に増大しかねないと言うことを明確にすべきではないか。

例えば早急に消費税を上げれば10%だが、問題を先送りすれば20%でも収まらない危険性があるということを説明すべきなのである。

一部のマスコミは消費税率と国債の増発とを別個の問題の様にして政治を語っている。これに振り回されているのが一部の政治家ではないか。

与野党ともに財政再建を先送りする怖さをもっと国民に説明して早急に税制改革に取り組んで欲しいと思う。また、マスコミもこの問題を総合的に考えた記事を書いて欲しいのである。

企業業績回復の兆し-景気回復時の行動を速やかに策定すべし2010/08/03 18:52

東証一部上場企業の業績回復が伝えられている。これは景気回復の前兆と見るべきであろう。景気の見通しにはなお悲観論もあるが楽観面にも配慮して景気回復時の政策を考えるべきであろう。あらゆる可能性を考えるのが政治ではないか。

現在の時点で景気回復時にどのような施策をとるかを構想すべきであろう。「景気回復」を待って計画しては時間的に景気後退時に施行するか繰り延べるかになってしまうのである。

一部の景気回復待望論者は景気回復を「景気過熱」と勘違いしているとも思えなくはない。一党の代表者にもそんな人がいる様に思う。そんな事態は最近の景気回復時には起きていないのではないか。

今回の景気回復は各企業の血の出る様な努力でドル85円に対応するシステムの構築が出来たことによると思われる。これは無荒老が長年技術者として勤務した時の経験から言えることである。

この各企業の努力の結果を国家のために使わせていただくことを政治家は考えて欲しい。しかし、おかしな使い方をすれば苦労した企業人の気持ちを踏みにじるというものである。

平成姥捨て山-何故起きたのか2010/08/04 18:48

100才を超す高齢者の行方不明が発覚したのである。勿論100才以下の高齢者に範囲を広げれば件数はもっと増えるであろう。

とにかく無荒老の神経では理解に苦しむ事件が多発したのである。無荒老の近親者ではこのようなことが起こる可能性は絶無と言えるのである。

ここは関連する各家庭の状況を調べる必要があろう。そこにどんな共通点があるかを明確にすべきなのである。そうしなければ対策など打ちようがない。

同様な「肉親の情」を否定する事件が日本各地で起きているのである。ことと次第によっては世界各国に同様の事態がないかを問い合わせる必要もあろう。

とにかく高齢者が行方不明となったことに関して家族がどのような「言い訳」をしているのかこれを纏めることがまず行われるべきであろう。

当人に逢わせないと言うことを避けるためには行政による強制的な医療診断も考慮に入れるべきではないか。

無荒老が危惧すのはオカルト的なものが存在しないかと言うことである。関係する政府関係者はこれも見て欲しいのである。

無荒史談279-天皇制に関して思う事(3)2010/08/05 18:49

皇国史観では色々な誤りがある。一々挙げないがここに極端な2例を挙げる。

後鳥羽上皇は「討幕」を行ったということで聖主として扱われてきた。ところが当時の記録からは「暴挙」をした暗君という評価であった。愚管抄、神皇正統記、承久記などがその主なものと言える。これらの中に京都政府関係のものがあることにも気を付けて欲しい。

上皇は和歌をはじめとした文の道や自ら刀剣を作成するなど武の道に優れておられた。しかし、肝腎の治世の君に必要な政治・経済に関しては全く無能であったことが文献からもうかがい知れる。

後醍醐天皇は幕府を倒し、親政を開始された聖主とされていた。そしてこれを倒した足利尊氏は代表的な逆臣とされたのである。

ところが建武の新政はともに戦った武士階級の希望に反し、情実政治であった。又、貴族重視の反動政治でもあった。「公平な」恩賞を期待した武士達は天皇から離れていく。そして足利尊氏を担ぎ出すのである。これも当時の文献からも伺われるものである。

皇国史観はこのような方を「無誤謬」の聖主にしてしまったのだ。このお二方の失敗を明らかにせず、その業績を歪曲してしまったのである。