無荒史談279-天皇制に関して思う事(3) ― 2010/08/05 18:49
皇国史観では色々な誤りがある。一々挙げないがここに極端な2例を挙げる。
後鳥羽上皇は「討幕」を行ったということで聖主として扱われてきた。ところが当時の記録からは「暴挙」をした暗君という評価であった。愚管抄、神皇正統記、承久記などがその主なものと言える。これらの中に京都政府関係のものがあることにも気を付けて欲しい。
上皇は和歌をはじめとした文の道や自ら刀剣を作成するなど武の道に優れておられた。しかし、肝腎の治世の君に必要な政治・経済に関しては全く無能であったことが文献からもうかがい知れる。
後醍醐天皇は幕府を倒し、親政を開始された聖主とされていた。そしてこれを倒した足利尊氏は代表的な逆臣とされたのである。
ところが建武の新政はともに戦った武士階級の希望に反し、情実政治であった。又、貴族重視の反動政治でもあった。「公平な」恩賞を期待した武士達は天皇から離れていく。そして足利尊氏を担ぎ出すのである。これも当時の文献からも伺われるものである。
皇国史観はこのような方を「無誤謬」の聖主にしてしまったのだ。このお二方の失敗を明らかにせず、その業績を歪曲してしまったのである。
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