無荒史談 292 平忠盛と池禅尼-驕らぬ平家は栄える2014/01/18 16:54

「驕る平家は久しからず」という格言がある。その逆もあったのだ。清盛の父忠盛とその正妻の池禅尼の場合がそれに当てはまる。

 藤原頼長は巨万の冨を持ちながら質実に暮らし、驕るところなかったと忠盛を賞している。妻の禅尼は多くの人脈を持ち、情報通であり、判断材料に欠けることがなかった。それだけ人に重んじられる女性だったのだろう。

 忠盛は瀬戸内海地方に勢力を伸ばし地盤を作り巨万の富を築いた。勿論その背景には武力も欠かせなかった。次の清盛の代で天下を取れたのも忠盛と禅尼の功績である。末法の中の大事件である武士の世となったのに欠かせない人物なのだ。

 禅尼は忠盛一家が保元の乱で分裂しないように働きかけた功労者である。源義朝が父や兄弟と戦う羽目となったのと大きく異なる。それには前述の情報網が役に立っている。

 平家が驕らぬ時期は禅尼の死後しばらくは続くが、清盛が大臣となる頃から「驕る平家」が見られるようになる。この頃から平家の繁栄にかげりが出てくるのである。