無荒史談79-院政の上皇-光格上皇2008/05/08 19:08

最後の院政を敷いた上皇である。後桜町上皇が崩御された後4年経って光格天皇は仁孝天皇に譲位され、その後37年にわたり院政を敷いておられる。この後の帝は、全て在位のまま崩御されており、院政はなかった。また、明治憲法以来、譲位の制度はなくなり、皇室典範にも上皇の規定はない。なお、皇位継承予定者による摂政の規定のみがあり、昭和天皇が大正天皇のご病気の際に摂政となっておられる例がある。

光格天皇の即位は全くの偶然によるものである。後桜町上皇が譲位された後桃園天皇が夭折された為皇位継承者が亡くなり、たまたま出家を前にしておられた光格天皇に皇位がもたらされたのである。

光格天皇は当時9才、出家目前の身が突如として天子の身になったのである。後桜町上皇の適切な助言の元、幕末の名君と言われる様になられたのである。

譲位して院政を敷かれたのは後桜町上皇の崩御後4年経ってからである。この点からも後桜町上皇には敬意を払っておられた様である。院政は仁孝天皇の在位期間の大半を占め、39年に及んでいる。上皇としての業績とみるよりも在位期間を通算した治世と見るべきであろう。

光格上皇の事績は、幕府の衰退に乗じて皇権の回復に努められたことにある。幕末の尊皇活動に関して皇室の存在が揺るぎないものとなったのは上皇の治世の結果と言える。

院政の上皇達終わり