リスク-幻想と現実2008/11/01 19:01

今回の金融危機に思うこと。

サブプライムローンはハイリスクハイリターンの商品である。

これを証券化するときにローリスクのものと一体化して商品化した。

これでリスクが軽減されるというのは幻想であった。

現実はハイリスクを組こんただけでその商品はハイリスク化したのである。

今世界中で証券の損失が計上されているが、住宅のサブプライムローンの何十倍という価格であろう。

今の金融の仕組みではハイリスクの破綻が次々と増幅するようになっていることは現実の示すところである。

一箇所の破綻が他に及ぼさないような仕組みを作るべきである。これが今回の危機の最大の成果としなければならない。

無荒史談138-日本仏教物語-一揆の時代2008/11/02 19:13

戦国時代に話は飛ぶ。武士階級の争いから下克上の時代へと世相は急速に変化する。この中で民衆が宗教特に浄土真宗を軸に結集し武士と対抗して領国化を進めていく。つまり武士の領地でない宗教王国が成立するのである。

「厭離穢土欣求浄土」のスローガンの元、宗教の為に死ぬことを厭わぬ民衆は武士階級を手こずらせた。戦死した戦国大名もいるほどである。この事態に厳しく対応したのは織田信長である。彼は宗教一揆を徹底的に滅ぼした。一人残らず殺そうとした戦もあるほどである。その結果一つまた一つと宗教一揆は滅びていく。信長はまた、僧兵にも厳しく延暦寺の焼き討ちを敢行している。

最後は大坂の石山本願寺である。さすがの信長も此処は苦労した。最後は朝廷まで担ぎ出して和睦した。しかし、本願寺は大坂の本拠を明け渡すこととなり、一揆の時代は終わることとなった。

本願寺は勢力を失い。次の徳川時代には東西に二分させられる羽目となる。

今の麻薬対策は生ぬるい2008/11/03 19:14

大学生が大麻を使用する事件が相次いでいる。

これは罰則が軽いことが最大の問題と思う。

飲酒運転事故が通常の事故より重いことを麻薬・覚醒剤の分野に拡大すべきである。

麻薬・覚醒剤の使用者には運転免許を含む全ての国家資格を認めないことである。

麻薬・覚醒剤の使用者は犯罪を起こした場合、「責任能力がない」と言うことを認めないことにすべきである。

麻薬・覚醒剤の使用を他人に勧誘した場合は処罰されるべきである。

これらは飲酒運転の場合と同じ観点からのものである。

このくらいのことをしないと麻薬・覚醒剤の根絶は難しいのではないか。

「歴史認識」の問題点2008/11/04 19:08

航空自衛隊幹部の論文が物議を交わしている。これは現在の「歴史問題」の欠点を如実に示したものである。

現在アジアで問題になっている「歴史認識」とは、1880年頃からのことを声高に論じているのである。言うまでもなく歴史はその以前から存在しているのである。

明治以後の話で「歴史認識」の全てを扱うのは本質を見失いかねないのである。これは日本のみでなく中国や韓国、北朝鮮にも当てはまるのである。

日本史は2千年、中国史は4千年、朝鮮史はその中間であるが、これを考慮せずに現在のことを歴史的に扱うのは危険である。

欧米の力が東洋史に影響を発揮し始めるのはアヘン戦争以後と見てよい。それ以前のことを考慮せずに「歴史問題」を云々するのはおかしいと思っている。

「歴史問題」を論ずる諸君、中国4千年の歴史から読み始めてみたまえ!記紀を初めとする日本の諸歴史書を読みたまえ!

無荒史談139-日本仏教物語-徳川体制への編入2008/11/05 19:06

仏教の体制への編入はキリスト教禁止と不可分のものである。無荒老はキリスト教が禁止されたのは何もカトリックの責任ではないと思っている。最大の問題はスペイン王室の姿勢と考えている。

宗教改革の結果カトリックは北欧州でその勢力を失い。その失地回復として欧州以外にも布教を始める傾向を強めた。イエズス会などがその中心である。ところがこれらの活動のスポンサーであったのがスペイン王室である。スペイン王室は帝国主義傾向の強い王朝であり、布教と植民地化を並行して進めてきた。これを秀吉、家康に見抜かれたので、キリスト教禁制となったと思っている。

また、仏教と違う点がもう一つある。仏教伝来時は、日本の技術がまだ未熟であり、仏教に同伴した先進技術は日本では真似が出来なかった。ところがキリスト教伝来時は、日本の技術は高度なものがあった。鉄砲など即時に国産化し、当時世界でもっとも多数の鉄砲が使用されたのが関ヶ原の戦いと言われるほどになった。

所謂キリシタン大名も純粋にキリスト教徒になったのは有馬晴信など数少ないと思われる。大友宗麟にしても黒田如水にしても洗礼名と法名の両方を持っているのである。彼らは戦国に勝ち残る為にキリスト教に帰依した方が有利だと思ってみたに過ぎないのである。従ってキリシタン禁制になってもいっこうに苦にならなかったのである。

仏教はキリスト教禁制の為に利用された。寺院は檀家制度の元に民衆の統制の為の体制の一機関となった。この為に宗教的活動は衰微するのである。